新しい視点

司祭パウロ 上原信幸

 デイサービスの七夕飾りが、ホールに飾られましたが、旧暦で祝う習慣のある地方では、今月もまた七夕が行われます。
物心ついてからこの数十年、七夕の日に星が見えた記憶はほとんどなく、考えてみれば新暦の7月7日は梅雨のまっただ中で、無理もない話です。
五月には不似合いな五月雨という言葉も、一月遅らせて考えれば納得がいきます。
中国は、日本の旧暦と同じだそうですが、他にもカレンダーとして月の暦(太陰暦)を使っているのは、イスラム暦、ユダヤ暦などがあります。

   ハイブリッド
さて、最近ハイブリッド・カレンダーというものが販売されているそうです。ハイブリッドとは、二つのシステムを組み合わせたものです。
よく耳にするのは、ガソリンと電気の両方が使えるハイブリッドカーですが、ハイブリッド・カレンダーは、新暦と旧暦の日付と、月の形、大暑・立秋などの節、先勝・大安などの六曜を記したもので、違った視点から毎日の生活を眺めてみようという考えから作られています。

   異なった視点
一方向からの視点だけで、ものごとを判断するより、裏や横からも眺めながら、物事を判断する方が、過ちをおかすことが少なくすみます。
一つの見方に固執することは、非常に危険なことです。
逆に言えば、どれだけ普段の自分とは異なった視点や、視野で物事を見ることができるかによって、理解が変わり、自ずと行動にも影響するでしょう。
聖パウロは、フィリピの信徒への手紙の中で「キリストのゆえに、わたしは全てを失いましたが、それらを塵あくたと見なしています。」と記しています。
自分を取り巻く世の中が変わらなくとも、そこに生きる人間の視点変化によって、価値観が一変し、人生の変更を迫られたわけです。

  新しく見えるもの
聖書に記されているみ言葉は、時として非常に理解しがたく、また、すべてが心にしみ込んでくるとはかぎりません。
しかし、それは私たち人間の視点と、神様の視点の相違であると思えば、少しは納得できるでしょう。
聖書を読んで、その全てを納得することができれば、それはすでに神様と同じ視線で、世の中を見ることができているということになります。
しかし、納得ができないということであっても、そこには私たちの視点とは違う、新しい視点が示されているということであり、私たちの現実とは全く別の世界があるのではなく、私たちに新しい視野が開けて来ている喜ばしい兆しと、考えることができるのではないでしょうか。
私たちは、人としての限界をもちながらも、神の子とされて生きる、ハイブリッドパーソンとして、生きる恵みが与えられているように思います。


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