主教が与えられる喜び

司祭アンデレ 中村 豊

 「あなたはこの度の着座式で当教区と協力関係にある海外教会の代表として選ばれました。つきましては式のなかで短く歓迎のことばを述べる必要がありますので用意しておいください。」
 ミカエル教会を代表し着座式には気軽に出席するつもりでしたが、出発の数日前に突然このようなメールを受け取りあわててしまいました。
 
主教、台の用意を
 フィリピンマニラへは14日(木)朝出発する予定でしたが、前日に文の作成にとりかかり、文の長さは1ページと半分となりました。しかし英文に自信を持てません。信徒の方に添削をお願いし夜9時、ようやくこれができあがりました。
 昨年度よりミカエル教会では海外教会、特にフィリピン聖公会及び関係団体との宣教協力を推進することを決め、昨年2月にビナツボ火山大噴火によって被災した村々をタクロバオ司祭(当時)と訪問、今年の聖霊降臨日には、フィリピン中央教区補佐主教に按手されたタクロバオ主教を説教者としてお招きしました。そのような関係から約2ヶ月前、フィリピン中央教区からタクロバオ主教着座式に招待されたわけです。しかし、フィリピン中央教区ともっと関係が深い教区もあるはずなのにどうしてわたしにおはちが回ってきたのかよく分かりませんでした。今年2月に行われた主教聖別式に日本から大勢参加したので、今回は出席を遠慮したのかもしれません。
15日(金)朝はケソン市にある管区大聖堂、トゥリニティー・カレッジなどを訪問しこの2月、タクロバオ主教の後任として就任早々の管区大聖堂のデーン(主任司祭)ロザリオ司祭と宣教協力問題について協議する予定でした。朝9時、カレッジ差し向けのワゴン車がホテルに到着。車からタクロバオ主教ご自身が降り立ちわたしたちを歓迎してくれました。
 「着座式のことですが、わたし、主教さんに歓迎のことばを短く述べろといわれているのですが、原稿を読む台を用意していただけるでしょうか。」 「それは用意できるけれども、そんなに長く話をするのですか?」 主教はかばんから式文のゲラ刷りをだし、「それは簡単で、式文に書いてあるこの文を読めばいいのです。何なら台を用意してもいいですよ。」「いえいえ、結構です。安心しました。」
 式では諸団体を代表してわたしが就任歓迎の辞を述べることは全くの勘違いであったことがわかりました。必死になって文章を作ったのに残念だと思う反面、内心ほっとしました。

教区主教をもり立てる
 17日(日)は着座式。迎えの車に乗り仮大聖堂の聖ステパノ教会に向かいました。この教会は主に中国人会衆のために建てられた教会であると聞きました。途中2,3箇所渋滞にあい、30分前に到着。式服を着てプロセッションに参加すべきか、平服でいいのか。わたしはどうすればいいのでしょう。
 「15分前に説明がありますから入口で待っていて下さい。」 主教の秘書がそうおっしゃる。ところがその時間になっても誰も何も言ってくれないのです。その辺をウロウロしておりますと一人のご婦人が近寄ってきました。
 「はじめまして。わたしはケート・ボテンガンです。あなたは中村司祭でしょう。心配することはありません。どうすべきか今調べますから。」
 ケート・ボテンガン? どこかで聞いたような名前です。前中央教区教区主教のボテンガン主教夫人でした。夫人はフィリピンでは高名な教育者・学者であり、昨年末フィリピン中央教区創立100年を期して出版された記念誌「Peal For The Episcopal Diocese of Central Philippines」の編集者でもあります。
 というわけでプロセッションに他の代表とともに加わることになりました。講堂のような聖堂には500名以上の人たちが着席していたでしょうか。現職・退職あわせて15名の主教が礼拝を補式しました。
 着座式の後、主教が分担し4か所で分餐することになりました。聖堂向かって左端がタクロバオ主教が立ちました。そうしますと、多くの人たちがこの列に並ぶために移動するのです。他の列はとっくに終わっているのに、タクロバオ主教の所だけは長蛇の列となりました。「誰からでもいいけれども、やはり新教区主教から陪餐を受けたい」と思ってしまう、偽らざる心情がこれに現されているように思いました。
 祝祷のあと「認証(recognition)」です。教区主教は主教座にすわり、教区内外のさまざまな団体の代表者が主教の前に立ち、「師父よ、教区の何々団体を代表し、主の御名により教区主教着座を歓迎します。教区主教の働きを支え、祈りを献げ、服従し、誠実に仕えることを誓います」と宣誓するわけです。教区の聖職団、信徒、婦人会、青年会、事務所スタッフ、聖ステパノ教会、そしてフィリピン独立教会、フィリピンキリスト教協議会、海外聖公会教会、ボーイスカウト、トゥリニティー・カレッジ、中国人学校、アフリカ聖公会、フィリピン聖公会の他教区などの代表が次々と主教の前にいき、宣誓。この中でわたしは海外聖公会教会の代表として主教の前に立ったのでした。
 日本聖公会祈祷書では、主教按手に際して司式主教が会衆に向かい「皆さんは誰それが主教に按手されることに同意し、主教として支持しますか」と聞き、会衆は「同意し、支持します」と答えますが、式文に「認証(recognition)」という箇所は見あたりませんし、教区内外の組織の代表が主教の前で宣誓することもありません。

喜びを分かち合う
 今回着座式に参列して印象深く感じたことは、新教区主教が教区に与えられること、それは教区にとってもっとも素晴らしいイベントであり、教区に属する全ての組織や人間がこぞって新主教をもり立て支援していく決意がこの式に明らかに表明されていたということです。いいかえれば教区の人全ては教区の発展を心から望んでいるということです。
 ちなみに教区主教選挙でタクロバオ主教への最初の投票で、聖職票はわずかに2,3票だったそうです。
九州教区の牛島司祭はじめ数名の信徒の方々、東京教区からは香蘭女学校横内校長はじめ数名の信徒が、当教会からは藤間先生ご夫妻とわたしの2人の娘が日本から式に参加しました。
 式後の夕食にはトゥリニティー・カレッジ、スマヤ学長がわたしたちをレストランに招待してくださり、楽しい歓談の時を過ごすことができました。
 空港の送迎からホテルからの移動、食事すべてを教区とカレッジが手配して下さりそのもてなしに恐縮しました。

パートナーとして立つ
 経済的に豊になり、満ち足りた生活を送りながらも人々の心が次第に貧しくなっている日本と経済的に貧しいフィリピン。この状況のなかでどのような宣教協力が可能なのでしょうか。
 1963年、第2回全世界聖公会大会(アングリカン・コングレス)がカナダで開催されたとき、カンタベリー大主教ラムゼー師は「自分のためにだけ生きようとする教会は自ずから死に絶える」という有名なことばを説教で述べ、神によって建てられた教会はどのようにあるべきかを示唆されました。教会相互が宣教協力をしようとするとき、資金や人材を分かち合うことは当然必要なことですが、相互の宣教に対する考えと実施を通してその果実をお互いに喜びを持って分かち合うことがもっと必要なことです。
 このことを痛切に感じたのが今回のフィリピン訪問でありました。


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