祈りと祝福のしるしとしての香−4月より聖餐式で香使用に際して

司祭アンデレ 中村 豊

2月教会委員会報告にありますように4月4日の棕櫚の日曜日より、復活日、聖霊降臨日、諸聖徒日、降誕日などの聖餐式において香の使用を実施します。八代欽一主教の牧師時代、大祝日の復活日や降誕日には香を使用していたと聞きますが、十年以上、大祝日での使用が途絶えておりました。しかし、ミカエル教会の主日聖餐式の形式はいわゆる「ハイ・マス」であり、このようなかたちの礼拝では香の使用が求められます。

香ー異教礼拝のシンボル

 神々をなごめるために香をたく習慣は古代エジプト、バビロニアなど中東でひろく行われておりましたが、香をたくことが異教的祭儀に関連している場合が多かったので、預言者はこれを非難し、排撃したのでした。そうはいっても、神殿礼拝において香は重要な役割を担いました。贖罪の日、大祭司は香のたかれている香炉を携えて至聖所に入り、礼拝を行いました。ある文書によれば、エルサレム神殿庭の賽銭箱の一つには「薫香」と書かれたものがあり、それに入れる賽銭は薫香の香料を買うために用いられたとあります。
  キリスト教会は最初の三百年間、香は礼拝で使用されておりませんでした。その主な理由は、皇帝を崇拝する礼拝時、あるいはいかがわしい宗教の多くが礼拝の時に香を用いておりましたから、当時のキリスト者のほとんどが、香の使用というのは信仰の堕落のシンボルとして捉え、その使用を嫌ったといえるのです。しかし、4、5世紀になりますと、香を使用するようになりました。異教礼拝で犠牲を献げるとき香の使用を非難しましたが、香は本来犠牲という意味合いを持つものではないと考え、教会で積極的に香を使用するよう奨励し、その習慣はいっきに拡がりました。礼拝に集う信仰者が神の祝福を求めるためのしるしとして香をたくことは東方教会では当然のこととされました。西方教会では祈りのシンボルとして香を位置づけました。このようにして、少なくとも6世紀にはどの教会も香を用いるようになったのです。

神の御前に届ける

 「わたしの祈りをみ前に立ち上がる香のように、夕べの献げもののように、わたしの手を挙げさせてください」(詩編百四十一章2節)と詩編の作者は祈り、「二十四人の長老は、おのおの、竪琴と、香のいっぱい入った金の鉢とを手に持って、子羊の前にひれ伏した。この香は聖なる者たちの祈りである」(ヨハネ黙示録5章8節)さらに「香の煙は、天使の手から聖なる者たちの祈りと共に神の御前に立ち上った」(同8章3節)とありますように、私たちの祈りを神に捧げるシンボルとして、更に神さまの祝福を求めるため、香の使用を当教会でも使用したいと思います。
(参考文献 新聖書大辞典、A New Dictionary of Liturgy & Worshipなど)


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