神の戸口

司祭 パウロ上原信幸
 今から10年ほど前、ベツレヘムの聖誕教会を訪れる機会がありました。イエス様がお生まれになった場所に立てられたといわれる教会です。
 その時ガイドさんから、教会の入口の大部分がふさがれているのだと教えてもらいました。たしかに、元々3メートル以上はあった入口のほとんどが石で塞がれて、今では少ししゃがまなくては通れない程の狭さになっていました。
説明によれば、十字軍の頃、騎馬兵が進入できないように、教会の入口を石で塞いだのだということです。
 その小さな入口をみて思い出したのは、にじり口と呼ばれる茶室の小さな入口です。一説には千利休が「狭い戸口から入れ」という聖書の言葉に影響を受けて、このにじり口を考案したといわれています。
 大名であれ、庶民であれすべての者が謙虚に頭をさげてこの戸口をくぐらなくては、茶室に入れないわけですが、特に武士は刀を刀掛けに置いてからでないと入れませんでした。
聖誕教会も茶室も、その入口は軍馬にまたがったまま、或いは刀を身に帯びたままでは入れないようになっているわけです。
 イエス様の時代、にじり口のように極端に狭い戸口があったかどうかはわかりません。しかし、狭い戸口といった場合、ただ腰をかがめればよいだけでなく、馬や刀を置いて行かなければ、通れないような戸口であるように思えてなりません。
 
    戸口に置いて
 イエス様は弟子達を宣教の旅に送り出されるとき、杖も袋も持たずに旅立つように指示されました。これらは旅人にとって、身を守る必需品です。
 杖は、獣や強盗から身をまもる武器としても使え、袋は旅先で異邦人の汚れた食物を食べなくてもすむように、つまり宗教的な汚れから身を守るための大切な道具でした。
 自らの安全を守るため、持っていることが当然と思われるものを、置いていきなさいと言われたのです。
 イエス様が「戸口から入ろうとしても入れない人が多いのだ」と言われる困難さは、自らの安全を保障するものを「捨てる」という難しさに重なるように思えます。
 悲しいことに、この安全を保障するものは、他人を傷つけ、他人を汚れた者として蔑み、自らの清さを保つための道具だったのです。
 人は自らの安全を守るために、様々な手段を講じます。他人の中傷や批判に負けないため、社会の落伍者となって路頭に迷わないため、相手をやりこめ優位に立つため、これらの手だてをきちんと持っていないと、安定した生活は望むことはできません。
 今、中東に多くの国が軍隊をおくっていますが、大量破壊兵器も発見されず、戦争を始めた大義もどこへ行ったのかわかりません。
 今の目的は、イラクに民主的な体制を作る手助けをしているということでしょうが、私には、安定した資源の供給をしてくれる、単に自分たちに都合のよい体制を、イラク国内に作るためとしか見えません。
 日本の自衛隊も、戦闘は行っていないものの、その一翼を担っています。
 そのような動きに追従しなければ、資源の少ない日本にとって、今後著しい不利益を生じるからでしょう。
しかし、先進国の利益、そして私たちの利益から考えれば、国際貢献という名目で正当化されていくことであっても、豊かさに固執した状態で、神の国に入れるかどうかを真剣に考えなくてはなりません。もちろん平和を唱えるとき、つまり武器を置くときには、私たちの生活の安定を保障する手段を、置いていくことになるのですから、豊かさもいっしょに捨て去る覚悟もしなければなりません。
 聖書では、弟子達を杖も袋も持たずに送り出された主は、必要なものは与えてくださることを約束しておられます。
狭い戸口の話は「人々は、東から西から、また南から北から来て、神の国で宴会の席に着く。」という言葉で締めくくられています。―神の国への狭い戸を通ってきた者を、主は豊かにもてなしてくださる―このことに「神の戸」と呼ばれるこの町に住む私たちも希望をおきたいと思います。

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