奉仕者を集める奉仕者に

主教 アンデレ中村 豊
 定年退職された秋山司祭の後任としてミカエル教会牧師に1999年4月赴任して今年3月で6年の歳月が過ぎました。

大聖堂の役割
 昨年4月神戸教区主教に就任してからは約11か月、教区主教として当牧師を兼務してまいりました。教区主教は少なくとも年1回、教区内各教会への巡錫が最低限の務めであり、従ってミカエル教会の主日には月1回、ほとんどの場合、教会委員会開催日しか皆様にお目にかかれない状態が続き、心苦しく思っておりました。主教就任以来、このようなかたちで牧師を兼務することは教会の宣教牧会上、マイナスはあってもプラスにはならないのではという気持ちをどうしても払拭できませんでした。また、各教会を回り教区の現状を見渡しますと、教会の様々な活動への奉仕に関する正しい理解を信徒が持つ必要性と、教役者も、与えられた教会において担うべき役割の理解をもっと深めることの必要性を痛感しました。同時に、神戸地域の宣教活動活性化を考えるとき、ミカエル教会を中心にした、主教座大聖堂の役割は今後ますます重要となります。大聖堂が建立され約45年になりますが、時代の変遷と共に大聖堂内の物理的状況にも相当の変化がみられます。特にそれが顕著になったのが震災後で、教育・修練目的で建てられたロダ館、神学寮が撤去され、それに代わって教区会事務所、宿泊施設、図書館、主教室などが設けられました。これからの10年間、これらの施設を有効に用いてどのような活動が求められているのでしょうか。

活き活きとした教会に
 6年前、わたしが牧師に就任したとき、信岡司祭と瀬山会治司祭、計3名の司祭により牧会・宣教活動が分担されました。次の年、信岡司祭はお隣の聖ペテロ教会に異動し、次の年の6月には瀬山司祭が英国留学のためミカエル教会を離れました。この時点から、1959年以来初めて教役者1名だけの状態が次の年の3月まで続きました。冠婚葬祭、特に信徒の方が亡くなられた時には、定期的な行事との調整に四苦八苦しました。そのような時牧師の焦りを見るに忍びないと思われたのでしょうか、この状態が信徒の方々が教会への奉仕活動に参与する絶好の機会をつくりだしたことも事実です。例えば、月報を作成し、それを印刷、発送するためには相当の時間と労力が要求されます。発送は教役者だけで実施した場合、一日がかりです。とてもわたし一人の手に負えるものではありません。奉仕部隊が自然発生的に形成され、今日までその奉仕が継続しております。毎土曜日の聖堂清掃に関しても当初は奉仕者が少なく、 アピールを再三再四実施しましたが、これも自然発生的に奉仕者が現れました。主日に関しては、約60名の奉仕登録者の中から毎週約20名が協力し主日礼拝が維持されているのです。USPGの伝統を維持し、より洗練された礼拝執行のためにはまだまだ問題点はありますが、教役者、信徒が共に協力しあわない限り、ミカエル教会にふさわしい礼拝を献げることはできません。

奉仕とは
 教会活動や信徒の交わりが活発化するための一つのポイントは、教役者にしろ信徒にしろ、責任をもって奉仕している者はその働きを分かち合うため、自分の働きに加わるように他の人を勧誘することが求められます。奉仕活動において特定の人がそれを独占し自分の采配で人を動かし物事を処理した場合、皆がそれに頼ってしまい、共に考え、共に奉仕するという共同性や喜びが失われてしまうのです。ほとんどの場合、信徒同士や教役者と信徒の交わりがぎくしゃくし、不満が噴出してしまうのです。

 6年間の暖かいご支援とご協力に感謝します。4月からは牧師館二階に移り、芳我牧師の宣教・牧会の協力者として教会を支援する所存です。宜しくお願いします。


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