三位一体の神

司祭 ヨハネ 芳我秀一
 近年、同性愛者の主教按手を巡って世界の聖公会は混乱と分裂の危機に直面しています。国によって歴史や文化に違いがあり、また時代の変化とともに社会の価値観も変化するために、教会もその影響を受け続けてきました。しかし、キリスト教の長い歴史の中で、一貫して変わらない最も重要な教会の信仰が「三位一体の神」です。これは使徒信経やニケヤ信経に要約されて聖公会の信仰告白となっています。
 三位一体の信仰とは「天地万物を創造された父なる神、人類を救われる子なる神(イエス・キリスト)そして教会に生命を吹き込まれる聖霊なる神、これらはそれぞれ個別の働きをするけど一つの神である」といいます。
  成立の過程
 「三位一体」という表現は、聖書には全く出てきませんが、それを暗示させる箇所はあります。マタイによる福音書第28章19節『だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。』
 このマタイによる福音書は西暦70年代に書かれたと言われています。つまり教会が誕生して既に約40年が過ぎているのですが、どのようにして三位一体の信仰は生まれてきたのでしょうか。
 マタイによる福音書によれば、弟子たちはガリラヤの山で復活のキリストに出会います。それまで弟子たちはイエス様を裏切り、自分勝手な自らの罪にさいなまれ心から悔いておりました。そんな彼らに復活のキリストが姿を現わされ、慰めの言葉と力強い宣教を命じられました。弟子たちは復活のキリストに出会って罪が赦され、死の束縛から解放された救いの喜びを経験したのです。教会は先ず経験的にキリストの復活信仰が与えられました。さらに教会はキリストの昇天後に、この宣教命令を実行するなかで聖霊なる神の助けと導きを経験します。こうして教会は自ら信ずる神がどのような方なのか、また父と子と聖霊なる神がお互いにどのような関係にあるのか、これらを明確にしていくうちに、特に異端(誤った教え)との戦いの中から聖霊の導きによって教会の正しい教えとして三位一体の信仰が生まれてきたのです。
  生きた教え
 「三位一体の神」という教えは頭で理解するだけの単なるお題目となってしまっては全く意味がありません。本来、この教えは三位一体の神がいかに私たち全てを愛しておられるのか、かって初代教会の人々が実際に経験したことを言葉として表現したものです。ですから私たちはこの三位一体の教えに再び生命を吹き込んで生きた教えとして初代教会の人々と同じ信仰に立ち、感謝と喜びをもってイエス様の宣教命令を実践したいのです。
 私は、新米牧師の頃、訪問するのが苦手でした。なぜなら、訪問しても「もう来ないで下さい」と断られたり、無視されるととても悲しくなるからです。ところが現在は訪問ほど楽しいものはないと思えるようになりました。三位一体の神がいかに私たち一人一人を大切に思って働いておられるのか、イエス様の弟子たちや初代教会の人々のように神の愛がよく伝わってくるからです。たとえキリストに敵対する人であっても、この人もまた三位一体の神の愛のみ手の中にあるかけがえのない存在だと思えるからです。三位一体の信仰に堅く立ってご一緒に教会の使命を果たして参りましょう。

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