死者と感謝の月

司祭 ヨハネ 芳我秀一

 “秋の日は釣瓶落とし”と言いますが、まっこと日の沈む早さを感じます。 さて聖公会では11月が「死者の月」と呼ばれ、すでに逝去された信仰の先輩たちをおぼえて祈ります。特に11月1日は「諸聖徒日」で昔から尊敬を受けていた聖徒や殉教者を記念し、感謝の気持ちを込めて祈りを捧げます。また11月2日は「諸魂日」です。この日には全ての逝去者が復活のキリストの勝利と希望に与かれるように神への祈願を致します。ですから当教会でも諸魂日とその後に来る主日では当教会に関わりのあった逝去者をおぼえてお名前を読み上げながら祈りを捧げます。

〈感謝の祝日〉
  また11月は感謝の月でもあります。11月後半になると洋の東西を問わず感謝の祝日があります。日本では11月23日は「勤労感謝の日」で、意義ある生活を営むための勤労と自然の恵みに感謝する祝日ですが、一方、アメリカでも毎年11月の第4木曜日には感謝祭(サンクスギビング)が行われます。本来、アメリカの感謝祭は、全ての生命と恵みを感謝する先住民族の儀式と祭りに由来するものでしたが、後に、イギリスから来た清教徒たちが厳しい自然環境の中で生き抜くために先住民のインディアンたちから農業や漁を教えてもらい、1621年にマサシューセッツ州プリマスで最初の収穫を終えた後に先住民たちを招待して催された祝宴が現在のアメリカの感謝祭の原型と云われています。

〈真の感謝と喜び〉
  ルカによる福音書第10章17節以下に、イエス様によって任命され派遣された72人の弟子たちが、再び帰ってきたときの物語があります。『彼らは喜んで帰ってきて、こう言った。「主よ、お名前を使うと、悪霊さえもわたしたちに屈服します。」と。それに対してイエス様は言われた。「悪霊があなたがたに服従するからといって、喜んではならない。むしろ、あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい。」』と。
  現代においても、私たちは日々信仰生活の中で、主イエスの名によって祈り、行動するとき弟子たちと同じように様々な奇跡に遭遇します。例えば、祈りにおぼえていた病める人々が癒された、今年は沢山の受洗者が与えられた、新しい礼拝堂が献堂されたなど多くの喜びが与えられます。しかし、イエス様はそのような一過性の喜びに一喜一憂してはならないと云うのです。むしろ大切なことは「あなたがたの名が天に書き記されていること」だと。つまり、愛に満ちた永遠なる方が既にわたしたち一人一人に目を留めて下さっており、伝道のために私たちを必要とされて共に歩んで下さっている、と云う事実です。決してわたしたちは独りぼっちではないのだ、という安心こそ尽きることのない真の感謝と喜びだと言うことです。

〈証と伝達〉
  毎年、「死者の月」を迎える度に「自分の人生は決して自分だけのものではないんだ。」と思います。何故なら、多くの信仰の先達が次々と、生きた時代と場所において、復活のキリストに出会い、罪が赦され、命をかけて証されてきた、その延長線上に現在のわたしたちが在るからです。私たちも感謝と喜びをもって次の世代にこの永遠の命を証して伝達する使命が与えられているということです。


© 2001 the Cathedral Church of St.Michael diocese of kobe nippon sei ko kai