祭りと聖餐

司祭 ヨハネ 芳我秀一

 日本人はよく祭り好きと云われる。祭りになるとやたらと元気になる人がいるが、本来、「祭り」とはそれを行うことによって神様から力を与えられ、人々の魂も新しくされると考えられてきた。だから日本人は1年の節目、節目に祭りを行ってきたのである。その祭りの中でも古来から重要視されたのが正月だった。正月になると日本人は全ての魂が新しく生まれ変わると信じてきた。毎年毎年、年の初めに新しい魂(生命エネルギー)を授けに来てくれるのが「歳神」である。歳神は半ば神で、半ば先祖の霊と考えられているが、この歳神からいただく力、エネルギーこそ「歳神からの魂」であって、これが「お年玉」の由来である。だから本来「お年玉」と云えば目に見えない歳神からの「生命エネルギー」であるが、日本人はこれを目に見える賜物として頂くようになった。鹿児島県では歳神に扮した男性が、トシダマという丸い餅を子供たちに配る風習が残っているという。日本人にとって「お餅」や原料である「米」はお年玉の象徴であり力の源でもある。 また歳神がこの地上にやって来るとき、お招きするための目印として、また宿られる場所を表すものとして家の門口などに飾られるのが「門松」である。「松」は「待つ」に通じており、「神がこの土地に来られるのを待つ」という意味から「神土待つ」、さらに「門松」となったと云われる。

〈日本人の宗教観〉
 このように日本人は宗教的であり、物みなすべてに魂が宿っているというのが日本人の信仰の基本だと云われる。日本人は目に見える物の背後に目に見えない物を見ようとする。このような宗教観は全ての存在が神であるとする汎神論や命のない事物をあたかも命や意志があるかのように擬人化する「アニミズム」に陥る危険性はあるが、キリスト者のサクラメント的な信仰生活に共通する部分があるのではないかということである。

〈サクラメント
 教会問答によれば、「サクラメントとは目に見えない霊の恵みの、目に見えるしるしまた保証であり、その恵みを受ける方法」とある。私たちは定期的に主の聖餐にあずかってパンとぶどう酒をいただく。イエス・キリストの御体であり、御血と信じていただくことによって、ますますキリストとの一体感を強めていただくことになる。このことは日本人が餅や米など自然の恵みをいただくことによって養われ、神(自然)と一体とされて感謝するのに似ている。

〈日本伝道とサクラメント〉
  正月を迎えるたびに思うことは日本人伝道にはサクラメントが有効である、と云うことである。先日、奈良に在住の信徒Kさんを訪問した。ご高齢のためご自分では教会に行くことは出来ない。クリスマスとイースターの年に二回の私宅聖餐式ではあるが、命の糧を待っておられる。ご聖体にあずかり再び力をいただいて信仰生活を続けておられる。聖餐式が日本人の祭りに似ていると感じる所以である。


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