宇宙短歌

司祭 ヨハネ 芳我秀一

 1998年11月、日本人初の女性宇宙飛行士向井千秋さんはアメリカ・スペースシャトル「ディスカバリー」に搭乗した際、様々な実験を行う一方、宇宙から短歌の上の句を読み、地球にいる人々から下の句を募集する催しを行ないました。とても大きな反響があり14万通以上の下の句が送られてきました。その上の句とは「宙返り何度もできる無重力」で、審査の結果、子供の部の下の句最優秀作品は「水のまりつきできたらいいな」、一般の部は「湯舟でくるりわが子の宇宙」でした。しかし、何故、これ程の反響を読んだのでしょうか。地上で重力に体を引っ張られ、窮屈で圧迫感、閉塞感を感じている人々にとって、宇宙という思いもかけない所から呼びかけられた時、ふと上を見上げればそこに無重力の広大な宇宙が広がっていたということでしょう。呼びかけることが如何に重要かということです。

〈呼びかけと派遣〉
  イエス様もガリラヤ湖のほとりで漁師たちに呼びかけます。ペテロとアンデレの兄弟に対して「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう。」と言われると二人はすぐに網を捨ててイエス様に従い、また別の兄弟ヤコブとヨハネも父親と舟を残してイエスに従いました。おそらく彼らは生計が不安定で地縁に縛られた息苦しい生活から、イエス様に従っていけばきっとバラ色の人生が待っているような解放感を感じたのではないでしょうか。結局、彼らは生活の手段を放棄し、生き方を全く変えてイエス様に従いましたが、その行き着く先はイエス様の十字架でありました。彼らは最後まで従うことが出来ず、イエス様を裏切ります。彼らは自らの意志でイエス様に従っていたために死を前にして逃げたのです。その後、彼らは自分のあまりの罪深さに生きる気力を失い、悲嘆の日々を過ごします。そのような彼らに再び生きる気力を与えたのが、復活されたキリストからの再度の呼びかけでした。「あなたがたに平和があるように。父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす。」(ヨハネ伝20章21節)。この時、弟子たちは初めて自分たちの罪が赦され、変わることなくキリストに愛され支えられていることに気づくのです。そして彼らは全ての人がこの福音に与れるように殉教を恐れず喜び勇んで遣わされて行きました。

〈決定的なこと〉    
  子供の頃、毎日曜日の朝、友達が声をかけてくれたので、私は教会を離れることはありませんでした。現在は私が呼びかける者にされています。神を信じて生きるとは、神から遣わされて生きることではないでしょうか。例えば、出会う人に対して、自分は神様から遣わされてこの人に会っている、あるいは子育てに忙しい時、その子どもたちを育てるために、私は神から遣わされていると信じて生きているのでしょうか。これらはキリスト者として決定的なことだと思うのですが、読者の皆さんはいかがでしょうか。


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