天の架け橋

司祭 ヨハネ 芳我秀一

 日本三景の一つに天橋立がある。神戸から北へ約150qの日本海に面した風光明美な観光地である。天橋立は約7,000本の松林が続く幅20〜170m、長さ3.2qにも及ぶ細長い砂地で、宮津湾と阿蘇海とを隔てている。北側の山頂から逆立ちして見ると、天に架ける橋のように見えることからこの名前が付けられたと云われるが、南側の山頂から見ると龍が天に登る姿にも見えることから「飛龍観」とも呼ばれ、見る場所によって様々な表情を見せてくれる。伝説によれば、天に昇るための梯子が倒れてこの細長い砂地が出来たという。天橋立は本来、天に至る架け橋であったが、果たして人間の歩む人生という道はどこに通じているのであろうか。

〈彷徨う人間〉
  イエス様は弟子たちに「狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。しかし、命に通ずる門はなんと狭く、その道も細いことか。」(マタイ伝7:13-14)と云われて「命に通ずる狭くて細い道を歩め」と命じられたのである。しかし、人間は広々とした道を歩きたがる。創世記によるとアダムとエバは神様との約束を破って人間の知恵と努力によって自由に生きようとした。ところが現実には、人間は人生を思い通りに生きることが出来ずムシャクシャして他人を傷つける者になってしまうのである。これが罪であって人間は命に至る道を見失ってしまった。思い通りにならない人生を如何に生きるべきか、現在わたしたちに問われている。

〈狭くて細い道〉
  「命に通じる狭くて細い道」とはイエス様の歩まれる道であり、またイエス様に従う道である。多くの人々がイエス様に従った。その先にバラ色の人生が待っていると思っていたからである。とろがその行き着く先は十字架であった。誰しもが従いたくても最後まで従い切れない道、それがイエス様に従う道なのである。つまり、「人は自分の身を守ろうとすると相手を思いやることが出来ない」という人間の本性が暴き出され、人は必ず挫折する。だから狭くて細い道なのである。しかし、イエス様に従う道、それは死に至る道であるが、何故それが命に至る道なのか。

〈天と地を結ぶ階段〉
  創世記28章にイサクの息子ヤコブの見た夢が描かれている。兄エサウから逃れて、ある場所で一夜を過ごした時、彼は夢を見た。先端が天まで達する階段が地に向かって伸びており、しかも、神のみ使いたちがそれを上ったり下ったりしていた。そして主が傍らに立って言われた。「見よ、わたしはあなたと共にいる。あなたがどこへ行ってもあなたを守る。」と。ヤコブはこの夢を通して主が共にいて守って下さることを知るのである。 天と地を結ぶ階段、これこそ神が人となり、十字架に死んで、復活され、昇天されたイエス様ご自身である。挫折した人間はよみがえりのイエス様が再び声を掛けて下さり永遠の命に至る新しい人生を共に歩み始める。イエス様こそ天に至る架け橋なのである。


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