初穂として

司祭 パウロ 上原信幸

 2005年3月末のイースター礼拝の翌日に神戸を後にしてから、丁度5年ぶりにミカエル教会へ帰ることになりました。
 神戸を離れてからも、会議などで大聖堂に帰る度に声をかけていただき、多くの方の祈りに支えられながら、神様のご用にあたることが出来ました。ありがとうございます。
 この五年間、私は米子、鳥取、境港の3教会の牧師として勤務してきましたが、山陰の風景を見て感じたことは、以前訪問したイスラエルの地とよく似ているということでした。
 鳥取は長芋やスイカの産地としても有名ですが、北条ワインの産地として、ブドウ栽培も盛んです。また、大麦の産地として麦茶やビールの原料も供給しています。
 稲作に適した農地が少ないことにもよるのですが、そのため聖地の産物と似てくるのではないかと思うのです。私たち家族は大麦が穂をつけ始めるこの時期に、引越の準備をしています。

<春の収穫>
 聖地で春分の日に続く満月の日は、古くより奴隷から解放された出エジプトの記念日であると同時に、収穫の始まりでした。
 春の収穫祭は、出エジプト=建国の祝いと重なって本当ににぎやかなものです。
 20年前のイスラエルの訪問は、この時期であったため、まさに盆と正月がいっしょに来たような熱気でした。実際のところ、飛行機の中は、国際線というより、帰省バスの中のような雰囲気で、お土産のダンボール箱を担いだ乗客が、よろけながら通路を歩いていました。
 空港ではちょっとした親切心から年配の方のダンボール箱を持って飛行機を降りたのですが、いきなり沢山の警備員に取り囲まれました。
 イスラエルの空港は世界でももっとも警備の厳しい空港で、爆弾テロの危険があるため、正体の判らない荷物を持つということは、もっとも避けるべきことだったのです。
 巡礼団団長の英国人司祭がとりなしてくれなかったら、そのまま拘留されていたかもしれません。
 おまけにスーツケースは行方不明。おそらく地球の反対側まで運ばれてしまったのでしょう。これも全て、ユダヤ人がこの時期をエルサレムで迎えようとする情熱的な大移動に巻き込まれてしまったがゆえです。
 この時から50日間大麦・小麦やそのほかの穀類の収穫が続きます。
 つまり、過越の祭は収穫の始まりで、ペンテコステ(五旬節)は収穫の終わりの祭でもあったわけです。
広場では、刈り入れたばかりの穂を抱えて人々は踊り歌い、全身で喜びを表していました。
 ユダヤの暦では、過越祭の安息日の翌日は、刈り入れたばかりの初穂を奉納物とする日でした。
 喜びの中で初穂が捧げられるこの日が、実にイエス様が復活された日になるわけです。まさに「キリストは眠りについた人々の初穂となられました(コリントT15:20)」とあるとおりです。

< 恵みの中で>
 人間にとって、わからないこと、不安なことは多くあります。永遠の命、神の国といっても見たこともないからです。
 神様の存在は大きすぎて、私たちの理解を超えており、正直のところ神様が何を考えておられるのかは想像もつきません。しかし、イエス様はその教えられたこと、なさったことは聖書を読めば、私たちにも良くわかります。
 同様に、イエス様のご復活も初穂という、当時の人々にとてもなじみ深い日に表されたわけです。
 私たちの不安を取り払う形で、神様は私たちに恵みを示してくださる。
 そのような希望を持ちながら、共にイースターを迎えることができればと思います。


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