地は主のいつくしみに満ちている

司祭 パウロ 上原信幸

 「平和ということを、東アジアの漢字文化の中で考えてみるならば、それは『皆が飢えていない』ということだ。
 平和の【平】とは、みんなが平等にということ。そして【和】と言う文字は、左側の【のぎへん】が【稲】=【米】を、右側は【くち】となっていることから、米をクチにすることを意味している。
 だから、平和とは、みんなが等しく平等に、飢えることなく米を食べることができる社会のことを表している。」
 これは、昨年の日本聖公会宣教150年周年の記念行事で、韓国聖公会の主教様が話されたことです。平和の解釈として、なるほどと思わせるものがあります。

争いのもと

 世界中でおこっている紛争のほとんどは、民族や政治・宗教の対立の様相はしていますが、実際のところ、ある民族だけが貧しいとか、あるグループだけに富が集中しているということがきっかけで争いが起こっています。
 中東の紛争も、宗教戦争の様相は呈していますが、実際には同様のことがいえます。この地域では、これまで何千年もの間、それぞれの宗教が混在しながらも、なんとか共存してきたわけですから。

みんなで食べる

  現在、地球上で生産されている食糧は、実際には世界の人口を養ってあまりある程の量が、充分に生産されているそうです。
 しかし、実際には多くの人が飢えています。原因はいろいろありますが、はっきりしていることは、お金がないと食料を買うことができないということです。
 一方で、お金があれば食料を燃料に変えて、快適な生活を守ることもできるし、穀物を飼料として、家畜を肥らせ、おいしい肉を食べることもできます。
 もちろん快適な生活が悪いことではないのですが、大量に輸入されている食物の多くが、余り物として捨てられていることは問題でしょう。
 十月は私たちの住むこの日本でも収穫の秋を迎えます。イエス様は「平和をつくり出す人は幸いだ」とおっしゃいましたが、収穫の秋に、私たちの食生活を見直してみることは、よい機会かもしれません。
 今年は改修工事などのため実施されませんでしたが、ミカエル教会では秋にはチャリティコンサートを開き、海外援助を行ってきました。またバザーの収益を様々な支援・協力活動に充ててきました。
 主の愛される神戸の地にあって、私たちが新しくなった大聖堂を拠点に、楽しみながら、「平和」をつくり出す。これほど素晴らしいことはありません。そして、イエス様のおっしゃった幸いを味わってみるというのも、「地は 主のいつくしみに満ちている」といわれる収穫の秋に、ふさわしいことだと思います。

主は恵みの業と裁きを愛し
 地は主の慈しみに満ちている。

詩篇33編5節


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