幻を抱き、神の業を分かち合う

USPG創立300年記念礼拝説教

カンタベリー大主教 ジョージ・ケアリー
2001年6月15日 ロンドン聖パウロ大聖堂

 今から三百年前の6月16日、SPGは国王ウイリアムスV世の認証により創立されました。それから156年後、UMCA(英国聖公会関係大学中央アフリカ宣教団)がリビングストンの呼びかけにより結成され、1965年、この二つの組織が統合しUSPGとなりました。
 本日、キリストを証し続けてきた栄光の三百年を祝うと同時に、目の前に開かれている第四世紀のUSPG宣教活動はどうあるべきかを祈るため私たちは世界各地からこの大聖堂に集りました。

まぼろしは宣教の原点
 共に手を携えて宣教の業に参与するため、イザヤ書は私たちに豊かな資料を与えてくれます。「主はわたしに言われた。あなたはわたしの僕、イスラエル。あなたによってわたしの輝きは現れる。」
 神の御言葉を受け入れたイスラエルの人たちのように、教会は神の栄光を現わし、神の威厳とイエス・キリストによってもたらされる自由を人々に伝えるために存在します。イザヤの「苦難のしもべ」の働きのように、宣教へのまぼろしを抱き、犠牲をいとわず、宣教の業をお互いに分かち合うことにより、神の栄光を示す器としてUSPGは存続してきたのです。
 USPG宣教活動の原点は、まぼろしを常にもつということにつきると思います。宣教活動がすばらしいと賞賛され、実際成功をおさめるのは、宣教のまぼろしの要点を明確にし、神への信仰と希望と愛でまぼろしを実施する為に力を注いだ多くの人たちの心がそこにあるからです。
 ダニエル・オコナー編集により出版された「宣教の三百年」で強調されているように、SPG創立者トマス・ブレイ司祭は傑出した人物であったことは間違いありません。ブレイ司祭夫人が牧師館二階寝室の窓から憂鬱な面持ちで中庭に並んだ家具を眺めています。ブレイ司祭が今まで取り揃えた家具を売るためにそうしたのです。アメリカ・メリーランドで宣教のまぼろしを実行に移すための費用捻出がどうしても必要であったからです。トマス・ブレイ司祭以外誰がこんなことをすると思いますか。ブレイ司祭はまた、企画の天才と呼ばれました。神の宣教を推進するため様々なアイデアを次から次に打ち出してきたからです。しかし、主の御心に従順に仕える教会を拡げるため、すばらしいまぼろしを抱く傑出した人物一人だけをUSPGは必要としたわけではありません。

目を覆う植民地の実体
 当時、英国聖公会では新大陸で起こりつつあった急激な変化と成長の中で教会の信仰が緊急に求められていることに気づいた人はわずかでした。英国のほとんどの人たちは、個々人の生活が正しい信仰で変えられるとか、教会を取り巻く地域社会がより正しい方向に変えられるために牧会・宣教活動が必要であると思っていましたし、信徒は教会にそのようなことを望んでいたのです。そのようななか、わずかではありますが、USPG宣教師を志願し、あるいは新大陸で新しい社会を築きあげようと熱望しこの組織に加わった人たちがいたのです。新しく任命された宣教師たちは英国の教会をそのまま移植させることでキリストの教会を新大陸に築きあげることができると単純に信じていたのです。
 では実際、宣教師はいかなる世界に派遣されたのでしょうか。宣教師が必要とされる場や機会はほとんど与えられなかったのです。美しく豊かな自然、神秘的な現地の人びとは、帰国後、その土地を占領しそこでわずかな努力で一夜にして一財産築けると吹聴し回った野心家の格好の餌食となったのでした。

教育と社会変革が緊急課題
 植民地化により、奴隷の使用と土地拡充がもたらされました。新天地の開拓者はキリスト教信仰をないがしろにし、現地人の人間性を無視し酷使しているという衝撃的な報告が本部に届きました。何か手を打つ必要があります。USPGは設立当初から、福音宣教に対して幅広い見識を持っており、これはUSPGが常に信頼される要因でもありますが、宣教師の派遣が開始されてすぐ、奴隷制をこのまま認めることは大変な悪をもたらすことに気づきました。そこで、キリスト教信仰を隣人に伝える手段として、現地の人たちへの教育活動と社会変革がUSPGの主な仕事の一つとなったのでした。
 キリスト教宣教が最も力強く示されたその象徴が1873年実現されたと私は理解しています。英国聖公会関係大学中央アフリカ宣教団はこの年ザンビアの君主を説得し奴隷貿易を中止させたのでした。新しい大聖堂の礎石はかっては奴隷市場であったところに置かれました。人々を恐怖のどん底に陥れ、人間性を剥奪する場として存在した奴隷市場は祈りと人間解放の場に変えられたのでした。
神の栄光は、犠牲をいとわず神に仕えることによって明らかにされます。「王の王」に忠誠を誓うとき、私たち自身が献げものとして用いられる、これが犠牲なのです。その中に、僅かではありますが、海外に派遣された人たちがいました。派遣された場所で神の福音と隣人に仕えるため、自分の命をかけて使命をまっとうしようとしたのです。

神の栄光のための犠牲
 パトリック・ゴードン司祭は、派遣され50日も経たないうちに命を落としました。USPGの記録をみますと、ゴードン司祭の例だけではなく、宣教師の多くが短期間で消え去ったことがわかります。孤独のうちにあっても、彼らが忠誠を誓った神に決して見捨てられることなく任務を全うしたのでした。 
 作為的に記録から抹消された婦人宣教師の犠牲を追悼しなければなりません。独身女性として外国に派遣され、英雄的、献身的に働いたのです。
 宣教師以上に活躍した宣教師の妻たちの貢献も見過ごせません。インドのデリーで医療活動の先駆者として名を馳せたのはプリスキラ・ウインターでした。神の愛を実践するため、霊の導くまま、インドの極貧のなかで、献身的に奉仕したプリスキラの働きは特筆に値します。

現地人の活躍
 海外の教会創設と発展のために貢献した現地の人たちも忘れてはなりません。この人たちは宣教師によりキリスト教に回心しました。モホーク族の卓越した指導者であったタエンダネギアの信仰生活は、部族の多くの人たちに霊性とより深い信仰へと導く模範となったのでした。
 若い世代ではどうでしょうか。マンケ・マシェモラは20世紀の殉教者の一人として数えられ、ロンドンのウエストミンスター・アベー礼拝堂西正面に記念されています。学校教育を受けなかったマンケは若くして天に召されました。キリスト教に魅せられ15才のとき、信仰を捨てなさいという家族の恫喝にひるむことなくそれを拒否し、その家族の手によって殺されたのです。
「自分の血でわたしは洗礼を受けます」
 このように言い残してマンケは天に召されました。このような人たちと比較すると、わたしたちのキリストに対する信仰の姿勢は何と薄っぺらいものでしょうか。

変えられた信仰の姿勢
 その時には、ほとんどの人には受け入れられませんでしたが、信仰理解に新たな足跡を残し、燃え尽きた人たちの勇気ある大胆な主張に感謝し、この人たちのために祈りを献げたいとおもいます。
 ジョン・ウエスレーのために祈りましょう。ウエスレーはかってSPGの宣教師でしたが、ジョージアでの経験がアルダスゲートでの劇的な回心につながり、それがメソディスト教会創設につながったのです。
 聖書解釈、伝統的な教理、礼拝理解に対して革新的な主張をしたことで有名なジョン・コレンゾー主教(注1)を覚えましょう。コレンゾー主教はズルー族の文化に深い理解を示し、ズルー族に本当のキリスト教信仰を示すために尽力されたことは余り知られておりません。コレンゾー主教が巻き起こした論争を解決するため、ロングレー・カンタベリー大主教は第一回ランベス会議(1867年)を招集するに至ったのです。
 C・F・アンドリューはマハトマ・ガンジーと親交を結び、ヒンズー教とキリスト教の対話に深い理解を示しました。
 ローランド・アレンは帝国主義を拒絶し福音に基づいた共同体建設に挑戦しました。
 神の栄光は多くの人たちの犠牲によって成り立つのです。USPG300年の歴史は魂、心、霊の奉仕を通して現された神の栄光を証ししているといえます。

海外宣教から学ぶこと
 今日の問題をどう解決すればいいのでしょうか。今の世界は1701年、あるいは1857年とは違います。当時の状況を思い起こし、それをもとに、わたしたちが抱えている問題とそれを解決する糸口とすることは愚かな試みです。
 もはや英国は様々な波風を静める主役を演じることはできません。20世紀、どの宗教よりも、キリスト教人口が世界で一番となりました。しかし、大衆社会をリードし、よりよい社会実現をめざす人たちの思想と行動の模範としてイギリスはその役を果たし得ません。それ以上に、同じような戦略で宣教活動を展開できません。誰を派遣し、誰を受け入れるかももはや明瞭ではありません。イギリスでは今日、海外から宣教師を受け入れているのです。宣教というのはお互いに持てるものを交換することによってより豊かにされることがわかってきたのです。  
協働の業を通して神の栄光が現らわされます。三百年間、様々な宣教理念を取り込みながら、世界に羽ばたいたUSPG創立をお祝いしています。
 では、現在USPG宣教はどのような立場に立たされているのでしょうか。全ての人を愛してやまない、この神の御心を真摯に受けとめる宣教の業にUSPGも参与しているというところに立脚しなければなりません。宣教は実行に移すことが必要ですが、同時に何かを生み出すことも重要なのです。

宣教は教会のいのち
  「火急に備える非常口としての宣教のため教会は存在する。」とエミール・ブルンナーはこれ以上ない比喩を用いて表現しました。もしも教会が当然なすべき宣教の業を放棄した場合、イエスのイメージを私たちに与える聖霊によって教会が刷新されることをやめてしまうことになるのです。
 18世紀初頭、英国聖公会が海外に向けて宣教活動を展開し活気づき、USPGもすばらしい働きを行いました。今日における宣教も教会生活を生き生きとさせる福音のリバイバル運動といえると思います。従ってUSPGも教会生命の中心に宣教する姿勢を据えるために意識改革が常に求められるのです。
 宣教の先駆者たちの幻は、信仰生活のなかで特に聖奠(サクラメント)を通して神の恵みがくだされるという、ハイ・チャーチの伝統によって堂々と保持されてきました。このような姿勢から神の愛の霊は、神の世界と人々に対して深い献身へと溢れ出たのでした。1980年代の人種差別撤廃運動を経て1990年後半の「福音宣教の十年」に献身的な姿勢は受け継がれました。
 宣教は新たな必要と確たる目標に向かって行動する契機に応じるため、常に準備を整えなければなりません。世界大に拡がり、文化を乗り越えたところでキリスト教が存在するということで、もう宣教の必要はないのではと思ってはなりません。新たな挑戦を明らかにすることにより、私たちの持てるものが有効に活用されるのです。

21世紀の課題
 C・F・アンドリューやジョン・コレンゾーが確信したように、自分たちと異なる文化や人々は福音宣教を共に担う賜物と洞察力を持っていることを、もっともっと認識する必要があります。
 教会の様々な宣教計画や教会生活を醜くさせる、暗黙の了解のうえに成り立つエリート主義に疑問を投げかけたローランド・アレンと同じような姿勢・態度が求められます。
これに関連し、先週出された文書「二十五年の冒険」は将来のUSPGの幻を語るものです。USPG活動における5つの優先順位をこの文書はあげています。
1.植民地主義からの脱却
2.他宗教との交流と対話
3.グローバリゼーションへの挑戦
4.霊的生活の向上
5.困難な状況下にある人たちにキリストの福音を受け入れる機会を与える
しかし、中心的課題は今日の世界状況のなかに見られます。それは
 貧困と資源の消費
 劣悪な環境
 都市化
 世界中に蔓延するエイズウイルス
 何百万人という罪なき人たちを傷つける地域紛争 です。                         
 これらすべてに挑戦することで、私たちは神の福音宣教の業と人々に神の栄光をあらわす者として召されており、その中で活けるキリストの顔を仰ぎ見なければならないのです。

「あなたはわたしの僕、イスラエル。あなたによってわたしの輝きは現れ」ます。
 わたしたちのなすこと全ては、それが神によって祝福された業でない限り何の価値もない
 神が、種として私たちの人生を与えない限り
 その種からの収穫を期待するのは何と空しいことか
 時が次第に満ちている
 水が海を覆うように この世界が神の栄光に包み込まれる時
 それこそ神の到来のとき

(中村 豊訳)
注1. ジョン・コレンゾー SPG宣教師として南アフリカに赴任、39才でナタルの主教に聖別。アフリカ人が洗礼を受けるに際し、一夫多妻を厳しく禁じなかったために非難され、神学的な問題提議などを起こし1866年、職位を奪われ追放された。

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