キリスト者はこのような時にこそ、
平和の器として召し出されている。

同時多発テロ事件に際して

米国聖公会総裁主教 フランク・グリスワルド

今朝ニューヨークとワシントンDCで起こされた同時多発テロで痛切に感じたことは、テロというのは国境の壁を難なく越えて起こされるということ、しかもこれを未然に防ぐことが幻想であることでした。ハイジャックが乗っ取った飛行機が世界貿易センタービルに突入し、ビルが崩壊していく様を目の当たりにし、強力だと思っていた国家だけではなく、個人のレベルにおいても、ただ手をこまねいて事態の推移を見守るほかはないという、誠に弱い存在であることが明らかにされました。

■暴力には暴力で-----------------------------------------------------------
テロによる犠牲者、重傷を負った方々、動転し悲しみにくれる犠牲者の家族や友人のことを思いますと心が痛みます。

ブッシュ大統領は、陰険で邪悪な行為の責任者を探しだし、厳罰に処すことを誓いました。多くの人たちは復讐を口にしております。このような時にこそ、神の福音と教会の使命に忠実に生きる信仰者は、自分自身からまずはじめる心の平和と変革に召し出されていることが明らかになったのだと私は思うのです。

私自身、激しい怒りや復讐の念を覚えないわけではありませんが、このような感情を抱いて行動を起こすことは、消滅と克服を私が祈り求める暴力そのものを永続させることにつながるのです。

■暴力の悲惨--------------------------------------------------------------
先週、私はダブリンにおりました。そこで、カトリック教徒であるという理由だけであざけりの言葉と敵意に視線のなか、北アイルランドのとある学校に連れて行かれる一人の少女の写真を見て、自分にもその責任の一端があることに気づかされたのでした。

北アイルランド問題は複雑です。いずれかの教派に属するかということが、敵意をむき出しにし、暴力を正当化すために最も手っ取り早い方法であることも承知しています。しかし、敵対者が互いに言葉で、あるいは実際の行動であらわす暴力、その中には全ての人が幸せに豊かに暮らせるよう、神の名を用いて行うあらゆる暴力も含みますが、それがどのような結果をもたらすかを、涙を流し恐怖にひきつる少女の顔は私に語りかけているのでした。

■神が望む世界とは----------------------------------------------------------
世界各地から、テロ事件に関わる問い合わせや祈りが私の執務室に寄せられております。その中には、絶え間ない暴力と流血により深く傷ついた人びとからのメッセージもあります。

富と繁栄を手に入れることがすなわち、大国といわれるのではなく、暴力が日常化し、暴力によってしか生きることができない地域の人々と連帯できる能力において偉大であるといわれる国の一人ひとりとして、その役目を果たすために召し出される。今回の事件はその契機となるよう祈っております。

この事件の犯人が発見され、その悪と人命無視の故に処罰されるのは当然のことです。しかし、このような暴力への感情は別の生き方をしなさいという呼びかけでもあるのです。

この世界を剣が鋤に、槍が鍬に変えられる平和な場所、平和の園になるように望む神のご計画に、私たちがその心と思いと力でもって応えることが出来ますように。

(原題ーWe are called to another wayー2001年9月11日・管区事務所配布の翻訳に手を加えました。)

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