教会創立120年に感謝

司祭 アンデレ中村 豊

10月7日(日)私たちは教会創立120年を祝う礼拝を持つ。この機会に、ミカエル教会に培われてきた信仰を神に感謝し、21世紀福音宣教の業を担う使命を新たにするために共に祈りを献げましょう。

■日本人宣教の拠点--------------------------------------------
1876(明治9)年、SPG宣教師フォス、プランマー両司祭が神戸に到着、5年後の1881年、鯉川筋の乾行義塾(けんこうぎじゅく)敷地に定礎の石が置かれ、聖ミカエル教会の神戸における宣教の第一歩が踏み出された。歴史はそのように語るが、フォス、プランマー両司祭が来神したとき、そこに信徒は誰もいなかったであろうか。

そうではなく、多くの外国人がすでに神戸に居住しており、両司祭はこの人たちのため超教派の教会として建てられたユニオン・チャーチなどを借りて定期的に礼拝を行っていた、という記録が残されている。ところがこの教会を使用していた他教派との間に問題が生じ、1898年、聖公会外国人信徒のためにオール・セインツ・チャーチ(諸聖徒教会)が建設されたのである。17年前にはすでに聖ミカエル教会が存在していたから、ここでも在神外国人の為に礼拝や集会が行われ、併せて日本人への布教活動や日本語礼拝が持たれていたことが推測される。その後、オール・セインツ・チャーチ設立により外国人会衆もこちらに移動し、この時点でSPGによる宣教の意図が明らかとなったといえる。つまり、本来の目的である神戸での日本人布教の戦略的拠点を聖ミカエル教会に置いたということである。

戦中・戦後の苦難を乗り越え1959年、ミカエル教会は神戸教区大聖堂となった。神戸地域だけではなく、中四国の中心としてその役目を担い今日にまで至るのである。

■パウロの感激 ----------------------------------------------
地中海地方の中心地ローマにキリスト教を運ぶこと、これが2000年前の福音宣教の戦略であった。パウロ一行がイタリア半島ナポリ湾のプリオ港に到着し、そこから200キロの道のりを歩いてローマに入ろうとしたところ、そのプリオにはすでに教会があり、信者さんたちが一行を大歓迎したのである。7日後、ローマ目指す一行はアピイフォルムとそこから16キロ地点のトレス・タベルネという村でローマ在住の信徒の出迎えを受けたのであった。パウロは感激し信徒のもてなしに勇気づけられ、これがローマ宣教の大きな励みとなった。(使徒言行録28章)

どのようにして福音の種がローマ地域に蒔かれたか定かではない。使徒たちがくる前に信者がこの地に存在し、教会まで建てられていたということは、福音伝搬の方法は神のみぞしる事柄なのかもしれない。

■キリストを見いだす------------------------------------------
「とにかくキリストを知らせることが『伝道』だと思った。それが間違っているのではないかということである。『伝道』して、ビラを配って、色々な集会を計画して、来会者を待っても誰一人も来ないというときがある。そんなとき、『なぜ自分はここにいるのか』と問い、うちひしがれる。そんな時、隣の農家のお婆さんが、つきたてのお餅を持ってきてくれる。その翌朝玄関を開けると、誰かが沢山の野菜を置いてくれている。昨日の「伝道集会」には誰も来なかったけれども、そこにキリストが共にいることを感じるのである。すでにこの地で働いておられるキリストを見いだしていけばよい」のである。(星野正興)

先達の信仰に感謝  聖ミカエル教会の門を私たちが最初にくぐろうとしたとき、そこにはすでに教会をこよなく愛しキリストを神戸の地に伝えるために尽力されておられた信仰の先達たちがきら星のように並んで待っておられ、快く迎え入れてくださった。この人たちのお陰で私たちの信仰が益々豊かにされてきたのである。これを感謝することが教会創立120年の意味の一つではなかろうか。


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