フィリピン訪問記

司祭 アンデレ中村 豊

 2月十一日(月)から十二日(火)、サンバレス州ピナツボ山麓及び山岳地帯を訪問し先住民族(アエタ)の実態や山麓に住む人たちの現状を見学した。
 佐藤信友兄、ボヤガン司祭(チャプレン・Trinity College・以下TCと略す)、タクロバオ司祭(Dean of the National Cathedral )、石橋氏(Trinity College )と私は夜明け前マニラ市内を出発、途中、火山噴火の後一九九五年十月の台風で約6mの灰に埋もれたバコロール市の教会周辺を見学した。教会は現在、二階部分を礼拝堂として使用している。昼前、ニュー・ラウィン村に到着。
フィリピン聖公会事務所を訪問


     村の生活

 ピナツボ山麓のラウィン村は度重なる火山噴火と大洪水で完全に埋没してしまった。全てを失った村人たちは茫然自失、噴火後の5年間はあらゆる意味で苦しみの連続であり、精神的にダメージを受けた人たちも多くいたという。村人たちはその場所を放棄し現在の土地を購入、家屋を建て、動物を飼い、植物を植えて自活を開始したのである。勿論ここも火山灰が3,4メートル積もったところである。井戸を掘り、寝室、食堂、談話室などを順次建て、ようやく生活が落ち着いたという感じであった。村近くの、窪地に出来た自然の池を活用し魚の養殖なども計画されているそうだ。
 昼食後ワゴン車は山間部に向かった。悪路をゆっくり進み峠を越えたその先に小さな村があった。入口左には司祭と村人たちの共同作業の結晶である平屋の礼拝堂が建てられている。
 私たちは村の先にある展望台まで行き、火山噴火によってできた巨大な湖を見学した。雨期には今でも火山灰の混じった泥流が溢れ出る危険があり、マニラ市郊外からピナツボ山麓まで数か所、巨大な砂防堤を設けて洪水を防ごうとしている。例えば、パシグ川の横堤は長さ四十三キロ、高さ十m、貯砂量は六.五億立方メートルである。
 村を後にして、小高い丘にあるリピット村を訪問。丁度刈り入れの時で、村人総出で脱穀の最中であった。脱穀機は借りたもので、米十一袋につき1袋が持ち主に渡る。この場所はタクロバオ司祭がTCチャプレンの時、大学ローバーを連れてワークキャンプを実施、給水糟を完成させた場所だという。村人が住む小屋を覗いてみたが、中には家財道具がほとんど見あたらず、村人の貧しい生活の様がうかがわれる。山岳地方の女性は十五、六歳で結婚しすぐに子どもをもうける。しかし、経済的に貧しく、栄養状態も悪く、ちょっとした病気が子どもを死に至らしめる。胎児にカルシウムを吸いとられ、母親の歯は若いうちにぼろぼろに欠けてしまう。
 夕方、ニュー・ラウィンへ。夕食後、村の小学生から大学生と交流の場を持つ。大学生(日本でいえば専門学校)は3名で、機械工学やコンピューターを学んでいるという。村には幼稚園があり、保育が毎日行われる。しかし、小学生に入り高学年になるほど教育を受ける機会を失うという。教育にかかる費用を捻出することが困難な家庭が多いからである。
パウーエンの子供たち
ニューラウィン村の青年たち


   教会の救援活動

 火山噴火後十年間、当時TCのチャプレンであったタクロバオ司祭が中心となり救援活動を展開してきた。問題の一つは、マニラの中央フィリピン教区管轄外に噴火被災地域(北フィリピン教区・マウンティン・プロビンス)があった。しかし、ピナツボ火山南側一帯はマニラからの方が交通の便が圧倒的に良く、しかも、北フィリピン教区からこの地域の支援は皆無に等しかった。困難な状況下にある人たちに援助の手を差し伸べることに縄張りはない。タクロバオ司祭はTCのローバースカウト、TCを中心にしたキリスト者ボランティア、聖ルカ病院関係者などを組織し現地に赴き、物資の配給、小さな集会所兼礼拝堂を3カ所に建てた。これらは管区大聖堂のミッション・センターの働きとして位置づけられており、現在、2名の聖職がその役目を担っているそうだ。
 TCではチャプレンを中心にして山岳・山麓地帯に拠点を設けたい意向で、ニュー・ラウィンの土地の一画を購入し、そこに多目的ホールと礼拝堂、宿泊施設からなるTCリサーチ・センターを立ち上げたいという。
 もう一つ重要な支援は貧しい家庭の子どもたちにも教育を受けさせることで、現在、小学生から大学生まで六十七名に奨学金を支給している。総額にして百万円前後であろうか。

  協働の可能性

 今回私たちが訪問した場所はピナツボ火山噴火被災地に限定されていた。火山噴火を抜きにしてもフィリピンの地方は経済的に豊かではない。貧しい家庭の子どもたちでも教育が受けられるようにすることが最優先課題と思われる。奨学金を受けた生徒・学生が社会人となり、地域社会に貢献することが今望まれている。奨学金により卒業したTC出身者の2名は現在、キュービックにあるアエタ開発協会事務局で働いている。
 現地の人たちの自給・自立・自足の精神を損なわずに、交流の機会が与えられればよいであろう。村人のシンプル・ライフは日本人の生き方に多くの示唆を与えることであろう。
TCの学長代行と執行部との会食


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