皆なし月

司祭 アンデレ中村 豊

 6月は水無月と呼ばれますが、旧暦の6月は今の8月頃にあたり、酷暑のため水のすっかり枯れた「水なし月」という説と、梅雨も明け田植えも終わった農家は農閑期に入り、なすべき仕事はすべてなしつくした「皆なし月」から「みな月」と呼ばれるようになったという2つの説があるようです。
教会暦では、聖霊降臨後の節が始まり、主の受難・復活・昇天・聖霊降臨といった出来事を経験した弟子達が大きく成長したことに、私たちも倣いましょうと、祭色も成長を現す緑に変わりました。
主はなすべきことを皆なし終え、今度は私たちが昇天の主に代わり、この世の光として歩み始める時として捉えたいものです。

先 人 た ち
聖霊降臨後、イエス様の弟子たちは各地へ出かけて福音を宣べ伝えましたが、それは約300年にわたる迫害の時代の幕開けでもありました。
その時代のクリスチャンがどのような人たちであったか、ローマ皇帝と州知事の手紙のやり取りからうかがい知ることができます。
皇帝トラヤヌスは、クリスチャンを処刑せよという政府命令について、州知事プリニウスから次ぎのような手紙を受け取りました。
「陛下の肖像に向かって香をたき、酒を献げ、神々への祈りをした者、これらはみな釈放してもよいと考えております。
本当のクリスチャンは、たとえいかに強制されても、このようなことはしないといわれているからです。・・・・・
この宗教の影響は、都市は申すにおよばす、村や地方の津々浦々にまでおよんでおります。」
これに対して皇帝の返事は、「こうした連中を捜し出すことは、やめにした方が良かろう。有罪(クリスチャン)と判れば当然処刑しなければならないが、その際、クリスチャンであることを否定すれば、だれでも恩赦を受けられるようにせよ。匿名による情報は、決して証拠として持ち出してはならない。
それは非常に悪い前例を残すばかりか、現代の精神にも反するものだ。」と答えています。
度重なる自然災害の原因は、神々を崇拝しないクリスチャンにあると、信徒は民衆に憎まれ、支配者の失政の矛先をかわすためにも利用され、物の売り買いなど一般生活も脅かされるなどの試練を受けました。聖パウロも「飢え、渇き、着る物がなく、虐待され」と語っています。
しかし、迫害の当事者であるローマの支配者さえ、先ほどの例のように、拷問や殉教に耐えるクリスチャンの姿に感嘆せざるを得ませんでした。
対するクリスチャンたちは、支配者層やローマの人たちと激しく対立するのではなく、できるかぎりよき隣人として生活し、皇帝に対しても迫害を和らげるためといった消極的な理由ではなく、「神に国の指導者と選ばれた者」に対し、敬意をもって接しました。

野 の 花
祭色の緑は芽生え、成長する野の草木の色と書きましたが、イエス様は、「明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、王よりも美しく装っていただけるのだから、何を食べ、着ようかと思い悩まず、神の国と神の義を求め、明日のことまで思い悩むな、必要なものはそれ以上に加えて与えられる。その日の苦労は、その日だけで十分である」と語られました。
初代教会の人たちは、必要なことをなしつくした後は、必要な恵みは常に与えて頂けるという信仰を抱いておりました。この季節に、わたしたちも先人の信仰にならって歩むことができればと思います。


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