9月28日、明石の勤労福祉会館でおこなわれた牧羊幼稚園創立50年記念式典に、父がその昔チャプレンをしていた関係で出席させていただいた。
隣りのN姉妹
会場に入ろうとしたところ、女性2人に声をかけられた。「ゆーさん、わたしたち覚えている」。顔をしげしげと眺めてみても、まったく思い出せない。「隣りに住んでいたでしょう」。「隣り? 北隣りに住んでいた人かな」。しびれをきらした2人は名札の下側の旧姓を指さし「N姉妹です」。お二人とは日曜学校の同窓、同じ小学校、中学、高校7年間の幼なじみである。小さいころのぽっちゃりとした顔が今はほっそりとしている。25年前の顔のイメージが頭にこびりついてしまい、突然目の前にあらわれてもわからなかった。N姉妹をすっかり忘れてしまったわけではない。最初の娘が生まれたとき「真理」と名付けた。二人目は「香」、4人目は「由香里」とした。どこかで聞いたことがある名前だな、と思ってはいた。5,6年たって、N姉妹を突然思い出した。姉は「香里・かおり」さん、妹は「真理子」さんである。「真理」「香」「香里」が同じ漢字となる。無意識のうちに娘にも同じような名前を付けたようだ。
遠くの死
震災で家が全壊し、娘さんの家に身を寄せていたKさんが千葉で亡くなられた。今から丁度4年前の秋であった。Kさんは須磨の聖ヨハネ教会聖別式にわざわざ駆けつけて下さった方である。約1か月後の早朝、突然東京の病院から電話がかかってきた。「Kは今病院で亡くなりました。家族にクリスチャンは誰もおりません。葬送式をするため教会を探していただけないでしょうか」。あれだけ元気であったKさんがどうして、一瞬頭が混乱したが、亡くなられた事実を否定しようもない。聖別式の後、かぜをこじらしたが油断して病院に行こうとせず病状が悪化、入院したときはもう手遅れとなった。東京聖パウロ教会のご厚意により無事、葬送諸式をすませることができた。
身内にキリスト教の信者が一人もいない場合、逝去の知らせが教会まで届かない場合がある。「訃報に接していない」人にとっては「その人はまだ生きている」ことになる。
近くの死
毎日のように言葉を交わし、食事を共にしている人の突然の死は耐え難い苦しみと悲しみを親しいものに与える。もう二度と会うことができないと思うからである。
愛するラザロが亡くなったとき、マリアとマルタは嘆き悲しんだ。(ヨハネ福音書11章) 二人の涙とまわりの人々の悲しみに接し、主イエスも涙を流された。その後ラザロの墓に行き、「ラザロ、出てきなさい」と大声で叫ばれた。すると「死んでいた人が、手と足を布で巻かれたまま出てきた」のであった。
主イエスは「わたしを信じる者は、死んでも生きる」といわれる。「わたしを信じる者は」ちょうどラザロが死んだように、「死んでも生きる」。それを示すための奇跡であった。ラザロは生き返ったが、再び死ぬというさだめを甘受しての甦りなのである。「肉体の死は『死』ではなく『眠り』」と聖パウロは表現する。
聖徒の交わり
11月2日は諸魂日である。わたしたちの教会では聖餐式において天に召された人たちの名前を読みあげ、この人たちとの交わりを深める。「イエスの兄弟姉妹として生きた人々は、死んではいるけれども、私たちの内にあって生き続けている。私たちを励まし、導き、勇気と希望を与えてくれる。」(ナウエン)
愛する者の死によって、その人の全存在が同時にこの世界から抹消されたわけではない。わたしたちの記憶や無意識のなかにその人は生き続けている。この聖徒の交わりは、相まみえる日まで続けられるのである。
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