打 ち 克 つ

司祭パウロ上原信幸

いよいよ大斎節も終盤にさしかかり、間もなく復活日を迎えようとしています。

 古くからこの期間は克己と修養の時として守られてきました。 この期間に聖書の通読を目標とした方や、なかなか読む機会のなかったキリスト教関係の本を読まれた方、また、大斎中にお茶やコーヒー、お酒やたばこといった嗜好品などを断ってこられた方もあるでしょう。

 慈善に努める時期というのも相重なって、今の大斎克己献金のかたちができてきたのだと思いますが、復活日の朝、おりおりに捧げたお金で一杯になった袋をみながら、今年もよくがんばったと、大斎中にひかえてきた一服をやるのが楽しみという方もいらっしゃるようです。

 大斎は主日を除く40日と規定されていますので、日曜日ごとに聖餐の喜びプラス、1週間ぶりの至福の時を持たれる方もおられたことでしょう。

 クリスマスとイースター前の、紫の祭色に象徴される懺悔と準備の時、聖公会では伝統的に祝い事をひかえ、特に質素に過ごすように努めてきました。

しかし、四月に新年度が始まる日本では、入学・就職祝いや歓送迎会などの行事も多く、個人的に酒やたばこは断つことはできても、宴席に連なることを断ることはなかなか困難です。

成 功 献 金

大斎克己献金というと、個人的な節制が成功したことによる献金といったイメージですが、 神様からの賜物をすべての人と分かち合うことを覚える献金でもあります。

ですから、お祝い事が多くて節制の機会がなかったから、献金もできないということではなく、その喜ばしい恵みを、困難の内にある人々にも分けあうつもりで捧げることもよいかもしれません。

克己献金という名前ではありますが、克己できなかったこと、生活の中で達成しきれなかったことへの反省をこめて、捧げてみるのも一つの方法でしょう。

いずれにしても、克己献金が用いられる先は、様々な困難や必要に迫られている人たちのためです。多く捧げて悪いはずはありません。

主に仕える

 大斎節中に私たちは、「自分たちを助ける力のない私たちを守り、すべての敵を防いでいただくこと」「命のパンによって養い、主に仕えさせていただくこと」「主の苦しみの模範と、そのよみがえりにあずからせていただくこと」を祈ってきました。

 たばこや酒といった健康に多少問題のあるものや、成人病のもととなる贅沢な食事をひかえることは良いことです。「神の霊が住む神殿」である私たちの身体を、大切にする事として意味のあることです。

しかし、自分の身を大切にする事と同時に、私たちと同様に神様から愛されている他の人々 ――  その多くは飢餓や他の困難の中にある ――  のことをも覚えなくてはならないのです。

イエス様は、最も小さい者にしたことは、私にしたことであると教えられました。主に仕えさせていただくことは、 2000 年前のイスラエルに生まれなければできないことではなく、どの時代、どの国に生まれても、困難な状況にある人に仕えるという形で可能なことです。

 ただ、自分の身を清めることを意図した節制だけでなく、他人のためにも苦しみを担われた主の模範を覚えて、感謝し、また反省ながら、私たちに預けられた恵みを共有することに努めることができればと思います。


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