風がふくとき

司祭 パウロ上原信幸
 6月の花嫁は幸せになれるという言い伝えのせいか、梅雨という季節にもかかわらず、日本でも結婚式が多く行われます。
 最近は、手作りの披露宴も盛んで、式後に撒かれるものも、花、お米、紙吹雪などの他に、鳩や風船、シャボン玉を飛ばすなどバリエーションも様々です。
 シャボン玉を飛ばすのはいくつになってもワクワクするもので、しばしば子どもと大きさくらべをすることもあります。
 童謡作家として知られる野口雨情作詞の「シャボン玉」は、広い世代に親しまれています。
 
屋根まで飛んだ
 学生時代、友人達と、間違って理解していた歌詞のことで、非常に話が盛り上がありました。
 発端は水戸黄門の主題歌「人生楽ありゃ苦もあるさ〜」を、それぞれ「苦労あるさ」「雲あるさ」など、音だけ聞いて、それぞれが自分の解釈が正しいと言い張ったことが始まりです。
 その中に、「シャボン玉とんだ、屋根までとんだ」という歌の一節を、――強風が吹いて、シャボン玉どころか屋根までとんでしまった――と解釈していたという強者がおりました。
屋根も飛ぶような大嵐の中を、「風々ふくな」と、子どもたちがシャボン玉を飛ばしているシーンを想像し、皆で大笑いをしました。
 この歌は、シャボン玉を飛ばす浮き浮きしたイメージとは逆に、寂しい雰囲気があります。
 野口雨情は、「ウサギのダンス」や「証城寺の狸囃子」などの明るい詩も作っているのですが、丁度この詩が作詞された頃、病で子どもを亡くし、屋根を越えることなく壊れて消えたシャボン玉と、幼くして亡くなった子どもを重ねあわせたといわれています。
 風は、世間の逆風か、あるいは風邪か、いずれにせよ、子どもたちには、逆境を越えて輝いて欲しいという願いが込められています。
 今日、虐待によって傷つき、命を落とす子どものニュースが後を絶ちません。世界各地では病気、飢饉、そして戦争で多くの子ども達の命が奪われています。
 爆風が吹き荒れ、爆撃で屋根の吹き飛ばされた家の映像もしばしば見かけます。まさに、風々ふくなと祈らずにはおられません。

息 吹
 聖書に見られる風についての表現は、「人々の悪巧みによって起る様々な教えの風」のように、人間が作り出すものは、いまわしいものとして描かれることも多いのですが、神様が作り出す風は、命ある息吹として頻繁に用いられます。
聖霊降臨日、激しい風が吹いてくるような音が天から聞こえ、炎のような舌が分かれ分かれに現れました。そして、弟子の一人一人の上にとどまり、国も、言葉も違う人々が、それらの違いを多様性として受け入れながら、一つになる力を与えられたと、使徒言行録には記してあります。 
人間は性懲りもなく、個人や国家の間で互いに分裂し、争い、憎み合い、傷つけ合ってきました。
バベルの塔は、言葉、民族などといった違いによる分裂の象徴ですが、人間はそのような違いによって分裂するのではなく、平和のうちに交わることができるようにされました。それが聖霊降臨の結果の一つです。
シャボン玉を作り上げているのは、石けん水の薄皮一枚だけですが、
その中は息吹に満たされています。
私たちも、様々な固執を捨て身軽になり、主の息吹に満たされたいと思います。


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