「み言葉に養われる」
司祭 ヨハネ 芳我秀一
私は、今春の人事異動により神戸聖ミカエル教会牧師として赴任することになりましたはが しゅういち≠ニ言います。私ども家族についてすこし紹介させていただきます。家族は妻の純子、長男の顕司(中3)、長女の恵(中1)、双子の姉妹の翼と直美(小4)そして次男の誠司(幼稚園年長組)の七人です。
私は四国の愛媛県にある大洲聖公会の出身です。一九八一年に聖公会神学院を卒業して最初に赴任するように命じられたのが徳島聖テモテ教会でした。同年4月に徳島で当時の常置委員長だった八代欽一司祭より伝道師認可式を執り行っていただき教役者としての働きを始めました。それから聖テモテ教会で十二年、高知聖パウロ教会で8年、そして米子聖ニコラス教会で4年間お世話になり今日に至っています。
家内は当教会の出身ですからご存知の方々も多いと思います。ただ結婚して十五年が過ぎようとしていますが、教会の仕事と子育て、また地域社会との関わりなどで近年になって疲れが出ているように感じます。本人は更年期特有の症状だと云っていますが、原因は分かりません。年に一度は必ず健康診断を受けろよと勧めています。
また子供たちですが、顕司は柔道、三人の娘たちはピアノと習字にはまっています。そして誠司はよくしゃべりよく遊びます。
このように私どもは家内を除いて神戸の様子はあまりよく分かりません。至らない所も多々あると思いますが、ご指導いただけると助かります。
さて、イエス様が荒野に導かれて断食した後、石がパンになるようにとの悪魔の誘惑を受けられますが、この時、イエス様は答えられました『人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』(マタイ伝4章4節)と。このように本来、人は神様の語られるみ言葉によって養われ生かされる存在です。霊的な糧が充分に与えられると教会は自ずと体力がつき元気が出てくるものです。聖ミカエル教会がますます霊的糧をいただいて、教区の大聖堂として教区全体を視野に入れながら諸教会の働きをおぼえて祈り支えていくことが出来るように微力ながら私たちも尽力して参ります。どうか宜しくお願い致します。
神ともにいまして
司祭 パウロ上原信幸
神戸聖ミカエル教会では、丁度4年間の勤務でした。
あっという間という気がしますが、
私たち夫婦も三十路から四十路となり、保育園のお世話になった息子も、小学生3年生になります。
思い起こせば4年前、赴任の直前に骨折し、松葉杖をつきながら引越をしてまいりました。教会の十字架に登っている途中、転落したのですが、尋常ではない傷みに立ち上がれないまま、これはまずいことになったと思いました。
しかし、地面の上にころがったまま、「神様は、耐えられないような試練に、あわせることはなさらないと聖書に書いてある。自分のような軟弱な人間は、耐えられる範囲が非常に狭いので、なんとかなるのではないか」などと、考えておりました。
案の定といいますか、周りの方々に迷惑をかけながらも、なんとか引き継ぎを終え、神戸に着任し、教区事務所との兼務という生活が始まりました。
教会の一二〇周年という節目の時期、この教会での働きに加わらせて頂き、とても感謝しております。その間、多くの時間を事務所で費やし、訪問などに出かけることもあまりなく、教会の副牧師として、充分なこともできなかったことを、申し訳なく思っております。
司祭になってからこれまで、四国、山陰、山陽といった教会に派遣されましたが、いずれも幼稚園が併設されており、兼務といっても今回が初めて、教会のみの勤務でした。しかし、保育園・幼稚園の他、ミカエル教会には多くの関係学校・施設があり、多くのことをここでも経験させていただきました。
鳥取県の3教会が受け持ちという新しい職務が始まりますが、山陰には、日本有数の漁港が並んでいます。魚はイエス様のシンボルでもあり、また神戸教区のシンボルマークでもあります。少々離れてはおりますが、同じ神戸教区、お会いすることも多いのではないかと思います。
都会の喧噪をはなれて、すこし静かな時間を持ちたいと思われるときは、どうぞお知らせください。鳥取、米子、境港と、いずれの町、いずれの教会でも、マーガレット真弓、ノア蒔人ともどもお待ちしております。
主イエスの恵みが、皆さんとともにありますように。
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