剣と福音

司祭 ヨハネ 芳我秀一

 今年も8月5日(土)に広島を訪問しました。この度はローマカトリック教会の人たちと共に祈り、原爆ドームのある平和公園からカトリック世界平和記念聖堂まで聖歌を歌いながら行進する機会が与えられました。また平和記念聖堂では満席の会衆と共にローマカトリック教会の聖職団と聖公会の聖職団が共同して平和祈願ミサを行い、共に同じ一つのパンを裂いて食べ、同じカップからぶどう酒をいただきました。このようなことは初めてで驚きました。キリスト教もたくさんの教派に分裂しているという現実があります。同じキリスト者でありながら敵対しあってきた歴史があります。しかし、キリスト者同志が分裂していてどうして平和を訴えることができるでしょうか。この度のローマカトリック教会の人々との共同は私たちに平和と和解の大切さを教えてくれました。

〈コベントリーと広島〉
 英国の首都ロンドンから第2の都市バーミンガムへ行く途中、列車で一時間余りの所にコベントリー(Coventry)という街があります。人口30万人ほどの街ですが、ここは自転車の発祥の地で、自動車や航空機産業が盛んだった所です。ここには変わった大聖堂があります。第二次世界大戦中に英国はドイツ軍によって激しい空爆にさらされコンベトリー大聖堂もこの時に爆撃され建物は破壊されてしまいました。大聖堂の外壁の一部と尖塔が残りましたが、その建物跡が戦争の悲惨さと人間の愚かさを思い起こす記念として現在も保存されています。そして、古い大聖堂の建物のすぐ横に現代的な新しい大聖堂が建立されているのです。ところで破壊された古い大聖堂の中に、二人の人が膝をついてお互いに抱き合っている「和解(Reconciliation)」と名付けられた銅像があります。実はこれと同じ銅像が広島の平和公園にもあると言われていますが、いつもコベントリーと広島は現代に生きる私たちに平和と和解の尊さを語りかけてきます。

〈和解の十字架〉
 8月6日は教会暦では奇しくも「主イエス変容の日」という祝日です。これは、イエス様が三人の弟子をつれて山に登った時、み姿が白く輝き、モーセとエリヤが現れ、イエス様とその最後について話をしていた、という出来事です。この出来事を通して弟子たちはイエス様が神の子であることを知らされ、この出来事の後、イエス様と弟子たちは十字架の待つエルサレムへ向かって旅を始めます。つまり、神の子とその弟子は楽な道を選ばず、自ら苦難に立ち向かっていくということです。
 ところで、イエス様の十字架は和解の十字架です。人間はお互いに愛を持って信頼し合う時、そこに平和が生まれます。しかし、人間はその信頼を破壊します。なぜなら人間は自分を守るために、他の者を思いやることが出来なくなるからです。これが罪(エゴイズム)です。イエス様の弟子たちも同様に十字架を前にして裏切って逃げてしまいました。でもイエス様はそんな彼らを十字架の前も、復活された後も変わらず愛され罪を赦してくださっていたということです。その事実を復活のイエス様と出会った時、彼らは理解して、再び復活イエス様との信頼関係の中に入れられ、赦され生かされている和解の喜びを全世界の人々に伝えて行ったのです。だから相手が信頼関係を破壊しようとしても、キリストとその弟子たちは決して破壊しないということです。イエス様は『剣を取る者は皆、剣で滅びる。』(マタイ伝第26章52節)と言われましたが、現代世界は恐怖心を払拭するために剣(武器)によって平和を築こうとします。このような時代だからこそ和解の福音を伝えることによってお互いに信頼できる社会を創り出すことが現代に生きる私たち教会に与えられている使命ではないでしょうか。


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