主よ、来たり給え

司祭 ヨハネ 芳我秀一

 ロシアの文豪、ドストエフスキ−の書いた作品の中に「罪と罰」がある。この作品は1860年代に書かれたもので、ロシア革命の起こる50年前のものである。当時の帝政ロシアは既に貧富の差が拡大し、不正がはびこって一般民衆の間では大きな不満が蓄積していた。このような不穏な社会情勢の中で、理想的な国家を作ろうと情熱を燃やす人々に対して、ドストエフスキー自らの罪深い行為と挫折の体験を通して学び得た事を警告として書かれたのがこの作品だった。

〈罪と罰〉
  主人公の貧しい元大学生ラスコーリニコフは理想に燃えながらも、目的達成のためには手段を選ばぬ男だった。彼は正当化された殺人によって金を獲得して、その金によって権力を握り、その権力によって新しいエルサレムをつくって民衆を幸福にしてやろうと考えていたのである。そして、彼は強欲な金貸しの老婆を殺害し奪った金で世の中を良くしようと企てるが、偶然殺害現場にやって来た老婆の妹も殺害したために次第に罪の意識と孤独にさいなまれていく。
  一方、ラスコーリニコフの恋人ソーニャ。彼女は家族を飢餓から救うために娼婦になって生きた屍の状態にあったが、「ラザロの復活」の物語を聞いてキリストを信じたのである。このような罪深い私でも心に留めて下さる方がいることに気づき、キリストの愛に触れることによって、彼女は周囲の人々にも愛情を降り注ぐようになり、彼女の周辺にはお互いに助け合う理想的な社会が生まれていた。ラスコーリニコフもまた愛しいソーニャの愛に癒されて自らの犯した罪を自白し、愛する者に変えられていく。結局、ラスコーリニコフもソーニャも同じ理想の社会を目指していたのだが、方法が全く違っていたという事である。
  ところでドストエフスキー自身も青年時代、理想国家樹立に向けて過激な秘密結社をつくり、暴力によって実現するために殺人を決意したことがあったが、彼は直前に逮捕され実行することはなかった。その後、獄中で長く苦しい内省の時間をもちながら、自分の在り様を見つめた結果、書かれたのがこの作品だった。彼は、自分は絶対に正しいとする人間の本性(罪)の問題を棚上げして、理性だけによる改革が如何に危険で、人間を破滅させるものであるか、身をもって説いたのである。

〈王なるキリスト〉
  ソーニャのように罪の問題の解決なくして真の平和はありえないと云うことである。だからこそ神は御独り子をこの世界に遣わされたのである。『(幼子は)暗闇と死の陰に座している者たちを照らし、我らの歩みを平和の道に導く。』(ルカによる福音書第1章79節) 「罪と罰」が書かれてから150年。既にソビエト連邦は崩壊し、現在の資本主義社会も帝政ロシアのように貧富の差が拡大し、テロや温暖化などの環境破壊によってますます挫折の道をたどっている。人間が支配する世界に未来はない。だから私たちは叫ぶ「主よ、来たり給え」と。


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