この夏、長崎市内を散策していると、ビルの狭間からすらっとした尖塔のある白亜の教会が目に飛び込んできた。その鮮やかな白さに目を奪われてしまったが、これがカトリック中町教会である。 中町教会は1897年(明治30年)に、市内中心部にあったキリシタン大名大村純忠ゆかりの大村藩蔵屋敷跡に建てられ、聖トマス西と15殉教者に捧げられた教会と言われている。彼らはドミニコ会の司祭や修道士たちを助けた信徒たちで、キリシタン迫害の厳しかった1633年から1637年に教会近くにある西坂の丘で殉教した人々だった。日本人9名、スペイン人4名、イタリア人、フランス人、フィリピン人各1名で、教派は違ってもこのような信仰の先輩たちの犠牲の上に今日の日本の教会があることを十字架を見上げながら思い起こさせていただいた。
〈逝去者記念〉
聖公会では11月は「死者の月」と呼ばれ、11月1日は「諸聖徒日」で昔から尊敬を受けていた聖徒や殉教者をおぼえ感謝の気持ちを込めて祈る日である。また11月2日は「諸魂日」で全ての逝去者が復活のキリストの勝利と希望に与れるように神にお祈りする。そして、この日は当教会でも関わりのある全ての逝去者のお名前を読み上げながら祈りを捧げることになっている。
〈微笑みの十字架とザビエル〉
ところでカトリック中町教会には珍しい十字架が祭壇中央に安置されている。それが「微笑みの十字架」である。しかし、この十字架は本物ではない。本物は13世紀にスペインで制作されたもので、スペイン・バスク地方にあるザビエル城に安置されている。中町教会の主任司祭が2003年にザビエル城を巡礼した際にこれを発見し、「日本にキリスト教信仰を息づいた原点」と感動してスペインの工房にレプリカを発注したものである。 ザビエル城は「東洋の使徒」として1549年に日本に初めてキリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエルが生まれた所である。彼は生まれた時からこの十字架に接し、家族と共に祈り、信仰を育んできた。そしてほとばしる信仰によって彼は東洋の国々に福音を伝えるために出て行ったのである。また「微笑みの十字架」は、1552年にザビエルが中国で息を引き取った時、この十字架から血のような汗が流れたという伝説から奇跡の十字架とも呼ばれ人々から特別な崇敬を集めている。
〈死と復活の栄光〉
ところで、キリストが十字架上で微笑んだという記事はどこにも出て来ない。故にキリストの表情は普通の人間の死に顔と同じなのが一般的である。だからこそ微笑んでいるキリストの十字架は世界に類を見ない特異な十字架であると言える。この十字架が誰によって、どのような意図で作られたのかは不明だが、十字架上のキリストの死と復活の栄光の姿を同時に見ることが出来る。つまり、人はキリストと共に人生の試練に立ち向かっていく時、既に大きな喜びと感謝の中にあることを教えている。
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