「自分の歩む道」

司祭 ヨハネ 芳我秀一
 先日、名古屋の聖マタイ教会で主教按手式が行われました。大勢の会衆の見守る中、ペテロ渋澤一郎司祭が主教に按手され、とてもすばらしい式典でした。新しい主教さんが誕生したという事実は、キリストがこの人に臨在しておられることの目に見える徴です。主教按手式は主なる神と出会う祝福された時でもあるのです。
 ところで神の民イスラエルにとって神が臨在し、また人が出会うことの出来る場所といえばエルサレムにある神殿でした。彼らにとって神殿は心の拠り所であり、信仰、政治、経済といった生活の中心でもありました。しかし神殿は度々外国からの侵略を受け破壊されてしまいました。そんな時、破壊された神殿を再び再建しなさいと力強くエルサレムの人々を叱咤激励したのが預言者ハガイでした。

〈バビロン補囚とハガイ〉
 BC1000年頃、ダビデ王やソロモン王の時代に全盛を極めたイスラエル王国でしたが、ソロモン王が逝去すると国は北イスラエル王国とユダ王国に分裂し、BC721年には北イスラエルがアッシリアによって滅ぼされ、BC587年にはユダが新バビロニアによって滅ぼされユダヤ人は祖国を失ってしまいました。その時、ソロモン王によって建設された神殿は破壊され、また有能な若者たちは敵国の都バビロンに強制的に連れ去られたのです。これがバビロン捕囚です。
 それから50年後、BC538年に新バビロニアは新興国ペルシアによって滅ばされ、ユダヤ人たちはエルサレムへの帰還が許されました。そして再びイスラエル王国を復興させるために神殿再建が始まるはずでしたが、いつまで経っても工事は始まりません。そのような状況の中で、BC520年にバビロンから帰還した預言者ハガイが立ち上がってエルサレムにいるユダヤ人たちに次のように預言しました。『今、万軍の主はこう言われる。お前たちは自分の歩む道に心を留めよ。』(ハガイ書第1章5節)と。何故、神殿再建が進まなかったのか。理由としてはユダヤ人に敵意をもつ者たちが近隣にいて妨害したり、また神殿の破壊がひどすぎて実際に手に負えなかったりということはありますが、それ以上に問題なのは、帰還したユダヤ人たちが有能であったが故に神殿再建よりも自分たちのために大きな家を建築したり、家畜の群れを大きくして事業を拡大して財産をもつことに満足していたのです。だから荒廃した神殿と自分たちの歩むべき道を踏み外している同胞の姿を見てハガイは神の怒りの言葉を発したのです。一方、ユダヤ人たちはハガイの預言に耳を傾け、本来の歩むべき道を取り戻します。そして神殿再建が開始され、預言者ハガイは一層彼らを励ましてついにBC515年に神殿は完成しました。

〈真の神殿と共に歩む〉
 人間は自分のことに目を向けると道を踏み外します。あの弟子たちもイエス様の歩まれるその先に十字架を見たとき、自分の身を守るために彼らはイエスから目をはずして道を踏み外しました。これ以上イエスの歩まれる真っ直ぐな道を歩み続けることが出来なくなったのです。しかし、十字架の後、復活のイエス様は再び弟子たちに語りかけます。預言者ハガイがユダヤ人たちを叱咤激励したように、イエス様も弟子たちに語りかけ、真の神殿である復活の御姿を表されて、一緒に新しい道を歩み始めたのです。それによって弟子たちは再び真っ直ぐな道を歩むことが出来たと云うことです。
 果たして現代に生きる私たちは真っ直ぐな道を歩んでいるのでしょうか。大斎節に入り、今一度、自分の歩む道に心を留めてみたいと思います。 


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