日本で一番大きな「池」が、鳥取にあります。湖山池といいますが、そこで一番大きな青島は、ひょうたんの形をしているため、別名「ひょうたん島」とも言われています。
昔「ひょっこりひょうたん島」という人形劇が放送されていました。「丸い地球の水平線に、何かがきっと待っている。苦しいこともあるだろさ。悲しいこともあるだろさ。だけどぼくらはくじけない。泣くのはいやだ、笑っちゃえ。進め、ひょっこりひょうたん島。」
教区の中高生大会で、先輩の高校生たちがおかしな振付で踊っていたのを覚えて、その後、司祭になってからも、幼稚園のキャンプファイヤーなどで、何度か踊ったこともあります。
大人になってから、この劇の原作者がクリスチャンであったことを知りましたが、そのユーモアの中に、信仰の力を感じます。
笑顔をむける
キリスト教に限らず、笑うということは重要な要素です、仏教では笑顔を施すという考え方があるそうで、和顔施(わげんせ 柔和な笑顔)といいます。他にも、身施(労働奉仕)、心施(おもいやり)、言施(あたたかい言葉)など、七施があります。
なにも出来なくても、笑顔をむける − すばらしいことですが、最近、笑顔ということに、ちょっと気になる情報もあります。
笑うことは人を和ませるだけでなく、体の免疫力を高め、健康にもよいということですが、つくり笑いは、逆に免疫力を下げるという話です。
症状は体だけではなく、心に至ることもあり、「微笑みうつ病」と呼ばれるタイプの病気もあるそうです。
そういえば、どんなときでも明るく笑顔であいさつしてくれる人が、遅刻がちになって、ついには仕事や学校を休むようになってしまい、とても以外だったということを、聞いたことがあります。
つらさを笑顔の下に押し殺していると、周りにも気づかれないうちにストレスを深めてしまい、心と体に悪い症状があらわれ、病気にまでいたるというものだそうです。
逆境を笑いに
イエス様はしばしば「大食漢で大酒飲み」と呼ばれました。
もちろん大げさな悪口だと思いますが、なんとも素敵な表現ではないかと思います。周りに集まっている人たちの明るい表情、歌声や踊っている姿さえ思い浮かびます。 もちろん、集まっている人たちというのは、幸せな人かというと、「徴税人や罪人」と呼ばれるような嫌われ者や、病気=天罰という考え方が根強い時代に、病気で苦しむ人たちで、笑顔とはほど遠い人たちだったでしょう。
イエス様はそういった人たちと、食事のたびに喜びを共にされて、そんなことが「大食漢で大酒飲み」という表現となったのでしょう。
つくり笑いではなく、逆境を笑いに変えていく力、笑いを作り出していく力、を、わたしたちが与えられていることを 覚えたいと思います。
「人の子が来て、飲み食いすると、『見ろ、大食漢で大酒飲みだ。徴税人や罪人の仲間だ』と言う。しかし、知恵の正しさは、それに従うすべての人によって証明される。」
ルカによる福音書7章34〜35節
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