9月24日に3年ぶりで教会記念日前夜祭として、チャリティ・イベントを行いました。尺八、落語、人形劇、歌、踊りと賑やかな演芸会でした。中高生たちも気仙沼での体験を通して、被災者支援をお願いしました。収益は東北大震災で困難な状況下にある方々を覚えて奉げられます。
神戸男声合唱団が「喜びも悲しみも幾歳月」を披露して下さいましたが、「共に過ごした幾歳月、よろこび、かなしみ目に浮かぶ」という歌詞が心にしみました。
福島のいま
教会記念日が明けた翌月曜、京都で聖公会宣教協議会の担当者会が開かれ、東北教区の長谷川司祭、越山司祭より、聖公会「いっしょに歩こうプロジェクト」と「福島のいま」について報告を受けました。
最近「福島に行っても、幼稚園掃除のボランティアくらいしかないのでしょ。むしろ現地の方に有料でお願いすれば良いのに」という声もあります。確かに雇用の確保も大切なことです。
しかし、ボランティアについて越山司祭は、「園舎のベランダのドアを鉄板で覆い、この1か月で2台の高圧洗浄機がオーバーヒートして壊れる程の除染を、毎日実施している。
子どもたちのために、跳ね返ってくる汚染濃度の高い水を浴びながら洗浄しているのは、若い先生たちなのです。
子どもたちには少しでも汚染の少ない食事を食べさせ、若い人たちの被曝をわずかでも少なくしたい。」と語られました。
福島の人たちが、福島の農漁業の復興のためにといって、地元の産物を毎日食べ続けることも、大きなストレスになるわけです。
いっしょに歩こう
京阪神3教区の拠点としている福島県いわき市小名浜には、今月も既に瀬山会治司祭が半月の予定で入り、後半は原田司祭が詰めて、ボランティアや、地域の方々のお世話をする予定です。
聖公会では小名浜を含め東北地方の5か所をベースとして、支援を行っています。
仮設住宅等の支援の中で、被災された方から「それは、聖公会さんに頼んでみたら?」そんな言葉を聞くこと、これほど大きな喜びはないということです。
「私たちの教会が、どれだけ人に知られているのか?あなたが必要です!と言われてきたのか?」 宣教協議会担当主教の五十嵐九州教区主教がおっしゃった言葉ですが、共に歩く存在として認められる人と人との繋がりが嬉しいのです。
できるだけ早く自立できるようにお手伝いをすることは、東北の産業の復興を促すために、東北の物を買うこともそうでしょう。できるだけ安全な範囲で、作業をお手伝いすることもできます。
そして何より、被災地への関心を失わず、祈り続けることが神さまの求められることだと思います。
「『この民の心は鈍り、耳は遠くなり、目は閉じてしまった。
こうして、彼らは目で見ることなく、耳で聞くことなく、心で理解せず、悔い改めない。わたしは彼らをいやさない。』
しかし、あなたがたの目は見ているから幸いだ。あなたがたの耳は聞いているから幸いだ。」
マタイ伝13:15〜16
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