今年も大斎節を迎えました。今から1500年ほど前の時代、大斎は日曜日を含めて40日だったといわれます。主日を除いた36日間が、丁度1年の10分の1にあたるので、献金で収入の10分の1をささげるように、1年の10分の1の時間をささげるようなものだと、当時のグレゴリウス法王は教えたそうです。
その後、日曜日は「斎日」ではなく教会にとっての大切な「祝日」なので、日曜日を除いた40日間を、大斎とするようになりました。
イエス様は40日間断食して人間にとって何が最も大切かについて祈られましたが、私たちも40日間断食することは無理でも、倹約しそのお金をささげるようになりました。
克己献金
以前、幼稚園の保護者だった他教派の牧師さんから、克己献金の制度について、次のようなお褒めの言葉をいただいたことがあります。
「聖公会の大斎克己献金の慣習は、素晴らしい。国内外の援助もそうだが、新しい宣教拠点の支援を、教派を挙げて行うということを、自分の教団でも提案したいと思う。」
子どものころから、あった制度ですので、深く考えたこともありませんでした。
もの心がついた頃から、毎日10円を袋に入れて、イースターに40枚の硬貨が入った袋を提げて教会に行きました。月の小遣いが2〜300円でしたので、倹約したのではなく、習慣づけするために親が10円渡してくれていたのだと思います。
大人になると、大斎中だけ禁煙して、たばこ代の200円を袋に入れ、80枚の硬貨が入った袋を提げて教会に行くのが習いでした。
それが数年続いたのですが、神学生の頃、会計さんのお手伝いをして、献金を数えた時、テーブルの上に広げられた硬貨の多さにびっくりしたので、それからイースターの当日に、できるだけ両替するようにはしました。
私の場合は、とても機械的な献金方法でしたが、昔から本当に沢山の方によって、日々祈りと共に奉げられた献金で、世界各地に新しい教会や施設が生まれてきました。
幸いへの招き
私たちの教会生活は、百年以上前の異国の先人たちのささげものによって、礎が据えられたわけです。
イエス様は受けるよりも与える方が幸いであると教えられましたが、私たちは単なる苦行と修練に招かれているのではなく、イエス様が招いてくださる幸いに招かれていることを覚えて、大斎節の日々を過ごすことができればと思います。
「あなたがたもこのように働いて弱い者を助けるように、また、主イエス御自身が『受けるよりは与える方が幸いである』と言われた言葉を思い出すようにと、わたしはいつも身をもって示してきました。」
使徒言行録20:35
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