折が良くても悪くても

司祭 パウロ 上原信幸

 少し昔の話ですが、先輩聖職と新任聖職の問答です。
 小さな教会に赴任した若い聖職が、黙想会の指導に来て下さった他教区の主教様に、「教会で、信徒を増やすためには何をすれば良いでしょうか」と質問をしました。
 すると、「君の教会が1万人の信徒でいっぱいになるよう、真剣に神様に祈れるかね?」と問われ、おもわず「無理です」と答えたそうです。
 すると今度は「では千人ではどうかね?」と問われ、やはり「無理です。」と答えました。
 5百人」「百人」と、ちょうどソドムとゴモラの町をとりなすアブラハムと神様の駆け引きのように、人数が変わっていきましたが、現実の教会とのギャップに、「無理です」としか答えることができませんでした。そして「30人では?」と聞かれた時、はじめて「それなら祈ることができると思います。」と答えたそうです。それでも現状の何倍もの数でした。
 しかし、祈り訪問を続ける中で、その数は夢ではなく、現実のものとなっていったそうです

  具 体 性

 私たちが祈るとき、自分のこと、家族のことであれば、その祈りはとても具体的なものだと思います。
 しかし、祈りはしばしば会ったことのない国内外の人たちのためにも及びます。けれどもそのような場合は、どうしても漠然とした祈りになることが多いように思います。
 そのようなときは、どのような願いが叶って、どのような祈りが聞き届けられたのか、祈りが漠然としている分、感謝も漠然としたものになると思います。
 一般社会であれば、学業や業務の成績の達成に向けて、非常に具体的な目標をたてます。
 「今度の試験では平均65点を目標にするぞ!」とか、「前年比0.7%アップ」などのようにです。 そして、叶った場合は、新しいステップに進み、叶わなかった場合は具体的に何が悪かったのか、具体的に、それこそ0.1%単位で検証するそうです。

  宣教の使命

 ランベス会議と全聖公会中央協議会で定められた、5つの教会の使命は下記のようなものです。

  1. み国のよきおとずれを、宣言 すること
  2. 教会の門をくぐった人を教育 し、洗礼を授け、養育すること
  3. 愛の奉仕によって人間の必要 に応えること
  4. 社会の不正な構造を変革する ように努めること
  5. 被造物の本来の姿を保護する ように努め、地球の命を支え、 再生すること

 神戸教区が宣教140年を迎える、2016年に向けての課題が、このような使命が、それぞれの地域の「教会」=「神様を信じる人の集まり」で、どのような形であらわされるのかを、具体的に考えてみましょうというものです。

 「御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くても悪くても励みなさい。とがめ、戒め、励ましなさい。忍耐強く、十分に教えるのです。」
 テモテへの手紙二 4章2節


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