自分自身を愛するように隣人を愛しなさい

司祭 パウロ 上原信幸

 教会の敷地内に咲くクリスマスローズも盛りを過ぎ、レンテンローズの季節となりました。レントのバラとはよく言ったもので、紫色の花を咲かせてくれます。
 聖公会では大斎節、カトリックでは四旬節、いろいろな呼び方があるので、超教派の集いではレントという言葉もよく使います。
 レントの語源については、説が種々あるようで、春を意味するゲルマン語説や、同じくゲルマン語でも断食を語源とするもの。
 質素に豆(聖書に出てくるレンズ豆)を食べて暮らすことからきたというもの。調べるともっとあるかもしれません。
 国や地域によって、大斎節中の期間の習慣はまちまちのようですが、毎日断食とはいかないまでも、米子におられたアフリカ出身の英語の先生は、肉はおろか魚も口にされないとか。
 様々な節制がありますが、倹約によって得た資金で援助を行うといったことは、いつの時代にもあったようです。
 先日同期の司祭と給食の話になりました。脱脂粉乳にはお世話にならなかった世代ですが、小学生の頃は毎日アルミの食器を専用の袋に入れて持ち、学校に行っていた記憶があります。
 私は学習指導要領の改訂により給食が教育課程の一環ともなった1958年以降に生まれていますので、小学校にあがった時から給食がありました。
 その学校給食の開始には、YMCAやYWCA、スカウト活動を含めた海外の教会の活動が、大きく関係していたようです。

  ララ物資のこと

 第2次世界大戦後まもない1946年4月、北米・南米の教会や社会事業などの団体の協力で、ララ(Licensed Agencies for Relief in Asiaアジア救援公認団体の略称)が発足しました。
 米国に在住していた浅野七之助氏は、米国在住の日系人の権益回復のため奔走していました。日本の窮状を知り、「一食を分かち、一日の小遣いを割いても、援助することは良心的な義務」と、戦後すぐ「日本難民救済有志集会」を立ち上げたのがスタートでした。
 また、戦前から日本にも多数の宣教師が在住しており、これらの方々が戦後再び日本を訪れ、日本の悲惨な現状を見聞し、肌で感じたことを教会関係者に詳しく伝えた結果、「日本の子ども達を救おう」と、各国のボランティア団体が立ち上がりました。
 高校や大学でも、週に一度昼食を抜いて、「日本の子どもたちの募金に回す運動」が大々的に行なわれたそうです。
 古来より、様々な慈善事業と呼ばれるものが行われました。もちろん富豪が、有り余るお金の中から、拠出したものもあるでしょう。しかし、生活を切りつめて献げられた浄財で、そのような活動が支えられてきたことも確かです。
 戦後日本の給食制度の基礎も、そのような献げものによって築かれたわけです。
 冒頭の聖句は、イエス様の御言葉としても有名ですが、旧約聖書に、生活の中での権利の制限として記されている聖句でもあります。収入として当然自分のものとなる「自分の畑の産物」を分かち合うことを示された聖句です。
 イースターを迎える準備を、分かち合うことを持って始めること。
 これも大切なことだと思います。

「穀物を収穫するときは、畑の隅まで刈り尽くしてはならない。
 収穫後の落ち穂を拾い集めてはならない。これらは貧しい者や寄留者のために残しておかねばならない。
 自分自身を愛するように隣人を愛しなさい。わたしは主である。」

  レビ記19章9節〜10,18節

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