先日、地方自治体の天然記念物に指定されるような巨木が、何者かに枯らされてしまうという事件の特集が、放送されていました。
樹齢何百年という木の根元に、薬剤を注入して枯らすという手口ですが、注入口は小さな穴なので、だれも気が付きません。
枯れ始めるとすぐ木材業者から「枯れた巨木が倒れると危険なので、伐採しましょうか?」と連絡があったということです。
無料どころか、数百万円の高値で買い取ってくれるということで、「助かった!」と安心したというところから問題は始まります。後にその巨木は、何倍もの高値で転売されていったということ。
古い木造建築改修のための巨木は、日本にはほとんどなく、あるのはご神木となるようなものばかり。けっして売ってはもらえない。確証はないけれど悪質な者が、自然に枯れたように見せかけて、手に入れようとしているのでは・・・という内容でした。
樹齢何百年という国産の木は、多くの人が求め、家一軒を買うことができるほどの値打ちがつけられていることが、背景にあります。
樹齢何百年という大木は、確かに神々しくさえあります。しかし、イエス様は、私たちの感覚と全くちがった価値観で物事を見られます。
とても小粒?
天国のたとえに用いられるからし種は1ミリ程度。小さいといっても他の種と何倍とかわるものではありません。確かに西アジア原産の黒がらしは、和がらしなどと違って3〜4メートルの高さに成長するということです。
しかし、高さから言えば聖地を緑に彩る木々の中に、天国のたとえにふさわしい植物が沢山あると思うのです。
むしろ松の実ほどの数ミリ種から、天を指しそびえるもみの木や杉、中東で最も美しいといわれた香柏(コウハク)、素晴らしい木は沢山あります。
今でもエルサレムには、イエス様の時代から生えていて、樹齢2000年を越すオリーブもあります。ちなみにイスラエルの隣国レバノンの国旗には、高潔と不滅の象徴として、杉がデザインされています。
壮大で永遠の命をイメージできる木は、他にもたくさんあるはずです。
そのような木であれば、鳥や小動物たちの生活の場としても、ふさわしいでしょう。
しかし、イエスさまは大木、大樹ではなく、わずか1年で枯れてしまうような草が、鳥が巣を作り、生活し、ひなを育てる所となるとおっしゃっているのです。
あたりまえの中に
天の国・神の国とは、場所でもなければ、地域でもなく、私たちの普段の生活のただ中にあるのだというのが、イエス様の教えです。
偉人や賢人、聖人と呼ばれる人たちの人生の中にだけ神の国が存在するのではありません。
「神の国は、『ここにある』『あそこにある』と言えるものでもない。実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ。」と教えられたとおりに、まさに私たちの中にあるのです。
最初、それは目に見えないほど小さくても、目をみはるほど大きく成長するものだと、からし種のたとえを用いて教えられたとおり、私たちには、成長する力が与えられています。
聖霊降臨日を過ぎ、これから教会の祭色は緑に変わります。野の草木に負けず、与えて頂いた力によって、神様と人とを喜ばせる豊かな実りをもたらすことが出来ればと思います。
「天の国はからし種に似ている。人がこれを取って畑に蒔けば、どんな種よりも小さいのに、成長するとどの野菜よりも大きくなり、空の鳥が来て枝に巣を作るほどの木になる。」
マタイによる福音書13章31節
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