クリスマスを迎えて早いもので一か月が過ぎようとしています。聖書によれば、8日目の1月1日が主イエス命名の日で、40日目の2月2日が宮参りをされた「被献日」となっています。
ルカ伝の最初の登場人物たちは、イエス様とそのご両親を除けば、被献日に神殿にいたシメオンとアンナといい、ザカリヤとエリサベトといい、高齢者が中心となっていることに気づきます。
旧約聖書のコヘレトの言葉の12章1節に、このような一節があります。 「青春の日々にこそ、お前の創造主に心を留めよ。苦しみの日々が来ないうちに。『年を重ねることに喜びはない』と、言う年齢にならないうちに。」
これは、よく青少年に贈る言葉として用いられますが、生涯にわたって豊かな人生観を保つためには、青年のときからの「積み重ね」により培うことが非常に重要だといっているわけです。
喜びの人生の歌
聖公会の祈祷書には、この時のシメオンの言葉が式文として入っています。シメオンの賛歌ですが、夕の礼拝の他に、これが用いられる場所の一つが、葬送式の出棺の時です。
出棺の時に、「喜びの人生の歌」が用いられるわけです。
信仰者であっても、そうでなくても、元気なうちはそれぞれに生活をします。特に使命感などを意識しなくとも、なにげなく過ごしていくわけです。
しかし、生活の中で次第に喪失感の方が増していけば、どうかすると「望みは、早くお迎えが来て、苦しまずにポックリといくこと、ただそれだけ。」という声を聞くことも、しばしばあります。
望みを持ち続ける
ところが、年老いたシメオンには、一つのはっきりとした望みがありました。それは「主にお会いすること」でした。
この世の楽しみに流されることなく、そしてこの世の様々な悲しみにも絶望することもなく、常に、希望と、使命感をもちながら、毎日をすごしたわけです。
彼の前に現れた救い主は、とても貧しい姿でした。旧約聖書の民数記には生まれた初子のための生け贄は、小羊一匹と、ハト一羽と定められていましたが、極端に貧しいものは、ハトのヒナ2羽でもかまわないことになっていました。
まさに当時でも例外的に貧しい幼子の姿が、そこにありました。そのような貧しい姿で現れた救い主を、ほかのだれでもない、この年老いたシメオンは受け入れたのです。
最近世の中を騒がせているニュースは、人間や会社という組織が、社会的な使命を忘れて、自らの利益のために走った結末ということができるでしょう。
喜びの時も、悲しみの時も、悩みの時も、迷いの時も、神様に日々心を向けること、これが、私たちの生活を「喜びの人生」へと必ず変えるということを覚えたいと思います。
「主よ、今こそあなたは、お言葉どおり、この僕を安らかに去らせてくださいます。 わたしはこの目であなたの救いを見たからです。これは万民のために整えてくださった救いで、異邦人を照らす啓示の光、あなたの民イスラエルの誉れです。」
ルカによる福音書2章29〜32
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