東日本大震災から11日で3年を迎えようとしています。
岩手県の盛岡聖公会・釜石神愛教会、宮城県の仙台基督教会、福島県の福島聖ステパノ教会で午後2時46分から礼拝がささげられ、各教区を代表して教区主教方が、それぞれの地域での礼拝にご参加の予定です。
それに先立つ3月1日には仙台の主教座聖堂が建て替え工事を終わり、奉献礼拝が行われようとしています。被災地では、試練の中で一歩一歩と歩みを進められています。
「(イエス)御自身、試練を受け て苦しまれたからこそ、試練を 受けている人たちを助けるこ とがおできになるのです。」 ヘブライ人への手紙2:18
聖書の中には、様々な試練の物語が出てきます。そのような試練の物語の一つに、イエス様が荒れ野で受けられた誘惑の物語があります。
イエス様が受けられた「試練・誘惑」というのは、まず、「人間が生きるということはどういうことなのか?」といったことだと思います。
誘惑について福音書には、このように記してあります。
‐イエスは、40日間昼も夜も断食した後、空腹を覚えられた。すると、誘惑する者が来て、イエスに言った。 「神の子なら、これらの石がパンになるように命じたらどうだ。」イエスはお答えになった。 「『人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』と書いてある。」
イエス様がお答えになったこの言葉は、旧約聖書の申命記にある言葉です。人間は生き物ですから、もちろん食べなくては命を保つことはできません。イエス様は、そのお働きの中で多くの人をパンで養われました。人間に食べ物が必要なことは百もご承知の上です。
しかし、充分に食べ、暮らせることができれば、それで人間は幸せなのでしょうか。それは食べ物にかぎらず衣食住の全てに当てはめて考えることができます。
それらのことが満たされれば、それで良いのか。つきつめれば、「人が人らしく生きるとはどういうことなのか」ということと関係するわけです。
衣食住が満たされることは大切です。他の動物であれば、生きることの必要が満たされれば、それで良いのかもしれません。
しかし、人間は他の動物とちがって、神様と人、また人間同士の正しい関係なしには、生きることができないということ=神様との絆の中で、人は生かされていくということが「神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」ということだと思います。
あなたがたのうちだれ一人、 罪に惑わされてかたくなになら ないように、「今日」という日のう ちに、日々励まし合いなさい。 ヘブライ人への手紙3:12
出エジプトの途中、荒れ野の試練の間で人々は、神様と人間との間のルールとして、「十戒」をいただきました。神様と人間との絆を保つルールです。
それでも、人間は様々な問題を解決できずに、苦しむわけですが、イエス様はわたしたちの苦しみを理解されないのではなく、試練を受けて苦しまれたからこそ、試練を受けている人たちを助けることが出来るわけです。
大斎節を迎えようとするこの時、様々な試練の中にあっても、私たちの苦しみを理解され、共に担ってくださる救い主がおられることに信頼し、共に励ましあって歩みたいと思います。
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