イスラエル暦の1月(アビブの月)は、現在の3月から4月にあたります。「アビブ」とは「麦の穂」に由来する名称だそうで、まさに新春だったわけです。
その14日の日没から建国記念日ともいうべき過越祭が始まります。過越祭の翌日は、麦の収穫の始まりで、刈り取ったばかりの麦の初穂を捧げる日でした。旧暦の15日は満月ですので、月光のもとでイスラエルの人々はエジプトから脱出しました。ユダヤ人たちはこの記念すべき祭には、必ずエルサレムを訪れていました。
今から2000年程前、その大切な過越祭と安息日である土曜日が重なる、数年に一度の特別な日がありました。
その日の前日、エルサレムを訪れていたキレネ人のシモンという人物がいました。イエス様の代わりに、十字架を担がされた人物です。
そのシーンは、地下ホールにある日曜学校の子どもたちがつくった十字架の道行の第5留にあります。
彼はアレクサンドロとルフォスという二人の息子の父であったということと、田舎から出て来た人であったということだけが記されています。
彼は過越祭を祝うために来て、たまたまイエス様に出会ったのです。
きっと祭の時に、何と運が悪いことだと思ったことでしょう。
運の悪さ
しかし、私たちの人生においても、しばしばこのようなことが起こります。きまじめに生き、規則を守り、出来る限り他人に迷惑をかけないように心がけて生きていても、学校や地域社会や勤め先で、人の嫌がる仕事、人がやりたがらない用事が回ってくることがあります。
まじめにコツコツと働いているのに、その働きに見合うだけの報いもなく、逆に結構いいかげんにやっているのに、おいしいところはチャッカリといただいてしまう人もいるでしょう。
そんな人を見ると、なんて自分は運が悪いのだろう。人は一体何を見ているのだろう。いや神様はいったいどこを見ておられるのだろうと思ってしまうこともあるはずです。
シモンもそんなことを考えながら、重い十字架を担ぎ、ゴルゴダまで歩いたのではないかと思います。
このシモンは、このあと一体どんな人生を歩んだのでしょうか。
聖パウロが書いたローマの信徒への手紙に、次のような言葉が記されています。「主に結ばれている選ばれた者ルフォス、およびその母によろしく。彼女はわたしにとっても母なのです。」
このルフォスが、キレネのシモンの二人の息子のうちの一人だろうと言われています。ということは、シモンの息子のルフォスは、ローマの教会の熱心な信徒であり、その母、つまりシモンの奥さんも、聖パウロが「彼女はわたしにとっても母なのです。」というほどの人物であったことが分かります。
神様の必要のために
イエス様の十字架を、主に代わって担ぎ、主の後に従ったキレネ人シモン。彼もまた「私の後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、私に従いなさい。」と言われた主の御言葉に忠実に生きた人だったと思います。
私たちそれぞれが担うことのできる十字架は、イエス様の十字架の重みと比べるべくもないでしょう。
しかし、神様が必要とされるとき、私たちもシモンのように、自分の前にある課題に取り組みながら神様に従いたいと思います。
|