だから、恐れるな

司祭 パウロ 上原信幸

 新緑の美しい季節になり、空に目をやることも多くなりました。
 人間は時として、空を飛ぶ鳥にあこがれることがあります。辛いことがあったとき、鳥のように翼があればどこか遠くにいってしまいたいとか、遠く離れている人のもとへ行って、癒されたいとも考えます。
 詩編54編にも「鳥の翼があったなら、はるかかなたに逃れ行き、荒れ野に独り住むものを」と唱われています。
 空を飛ぶ鳥を見て、自分より鳥のほうが自由ですばらしく感じたり、うらやましく感じる時は、かなり疲れている時なのでしょう。
 ハトは平和の象徴としてしばしば描かれますが、聖書の中でハト=ヨナは(嘆くもの)という意味で、苦難の象徴としても用いられます。
 旧約聖書に出てくるヨナも同じ「ハト」という名前ですが、その名の如く悶々としました。
 イエス様は、「二羽の雀が一アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さえ、あなたがたの父のお許しがなければ、地に落ちることはない。だから、恐れるな。あなたがたは、雀よりもはるかにまさっている。」こうおっしゃって、人々をはげまされました。

  恐れることはない

 すずめは聖地では、とまったすずめの重さで木の枝がおれることもあるというくらい、ありふれた鳥でした。
 庶民にも手が届く手軽な食材として、一羽単位ではなく二羽ひとからげで売られていたわけです。そんなすずめでも、神様の支配の中に生かされています。
 「その一羽さえ、あなたがたの父のお許しがなければ、地に落ちることはない。だから、恐れるな。あなたがたは、たくさんの雀よりもはるかにまさっている。」とイエス様はおっしゃるのです。
 アサリオンとは少額の銅貨で、「二羽のすずめは30円で売られているけれど、そんなすずめの一羽でさえ、神様に守られているのだからガンバレ。」こんなかんじでしょう。
 天の国とか神の国という言葉が聖書にはしばしば出てきますが、天国とは死んだあとにだけ行く、あの世ではなく、神様が支配される国です。そのような国、神の支配が行き届いた国に生きていることを忘れてはいけないと、この聖句は教えています。

  神様の支えによって

  私たちの生きる世界は、様々な不安があります。それこそ、鳥になってどこかへ行ってしまいたくなるような不安です。
 それは私達を取り巻く様々なことに対する「恐れ」でもあります。
 イエス様は恐れについては、魂を殺すことのできない者どもを恐れず、むしろ、魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方、つまり神様を恐れなさいと教えられました。
 聞きようによっては、恐れの追加と思えるかもしれません。
 神様は優しい方、恵みの方ではなかったのか。呪いではなく祝福を、怒りではなく赦しをもたらす方ではなかったのか。多くの不安がある上に、その上、神様まで恐れなくてはならないのか・・・と思えば大変なことです。
 しかし、ここで言われることは、神様に畏敬の念を抱いていないからこそ、様々なことが恐ろしく感じるのだということです。
 イエス様のおっしゃることはとても難しいように感じますが、神様がすべてご存じで、すべてを包んでくださるのだから、どこかへ飛んでいかなくても、大丈夫なのです。
 五月晴れと呼ばれるこの季節に、神様が私たちを支えておられることを覚え、日々を過ごすことができればと思います。


© 2024 the Cathedral Church of St.Michael diocese of kobe nippon sei ko kai