救われる初穂

司祭 パウロ 上原信幸

 大聖堂の正面の木が、久しぶりに大きなドングリの実をつけました。ここ数年は夏の水不足のためか、大きな実を見ることがあまりありませんでした。 敷地内にいながらも、収穫の秋が来たことを感じます。

 かつて、エジプトを出たイスラエルの民は、神様が与えてくださった約束の地を目指します。そのすばらしさは申命記に、「平野にも山にも川が流れ、地下水が溢れる土地、小麦、大麦、ぶどう、いちじく、ざくろが実る土地、石は鉄を含んでいる。」と記してあります。
 砂漠や荒れ野を越えてこの地に辿り着いた人々は、この約束の地のことを、「乳と蜜の流れる土地」と呼んでいますが、沙漠の中のオアシスのようなガリラヤ湖畔やヨルダン川流域の土地の豊かさは何にも代えがたいものだったでしょう。
 しかし、この地方でも乾期の間は、全く雨がふらない場所もあるそうです。雨の豊かな日本から行けば、肥沃な三日月地帯と呼ばれるこの地方も、草木の少ない乾燥地帯に見えます。
 しかし、そのような土地が有名なブドウの産地となり、イスラエル産のワインは、日本でも販売されています。

  過酷な状況で

 イエスさまが、しばしばたとえとされる、ぶどうの木は、過酷な環境の中にあっても、非常に生命力にあふれ、その木につながる枝は、すべて豊かな実を結び、枯れることのない木だったのです。
 むしろ、厳しい環境に育つからこそ、甘味の多い豊かな実を結ぶことができます。
 彼らは、年に2度収穫感謝祭を行いました。春は五旬祭と呼ばれ、麦などの穀物の収穫の祝いで、この祭日に教会の誕生日ともいうべき、聖霊降臨の出来事がおこりました。秋は果物を中心とした祭です。この二つの祭で大切なことは、その収穫物を皆で分かち合い、喜ぶということでした。
 今、私たちを取り巻く環境は、決して明るいものではありません。
 しかし、世の中の闇が深ければ深いほど、世の光としてのわたしたちの役割も大きいのだということを考えなくてはなりません。
 イエス様は、ご自分を困難な状況の中にあって豊かな実を結ぶ、ブドウの木とたとえられました。そして、私たちはその枝であると、おっしゃいます。ブドウの枝である私たちを通して、豊かな実りがこの世にもたらされる。これが、イエス様の約束なのです。

  多くの実りが続く

 聖パウロはテサロニケの信徒に宛てて、「神はあなたがたを、救われるべき者の初穂としてお選びになった」と手紙を書きました。彼らは、初穂つまり最初の実であり、後に多くの実りが続くという約束です。そして続いて次のように記してあります。
 「わたしたちの父である神が、どうか、あなたがたの心を励まし、また強め、いつも善い働きをし、善い言葉を語る者としてくださるように。(テサロニケの信徒への手紙U2;13)」 この言葉は、神様が私たちに良い行いと、善い言葉を語る力を与えてくださるということを意味しています。秋を迎えたこの時、神様が、私達に望まれるよき実を、豊かに稔らせることを心がけ、共に生きるようにと与えていただいた、この世界の隣人と恵みを分かち合えることを学びたいと思います。


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