5月の出来事

司祭 パウロ 上原信幸

聖霊降臨日

 去る5月24日(日)に、聖霊降臨日(ペンテコステ)の聖餐式が中村豊主教司式のもと執り行われ、約160名が出席しました。礼拝後には、地下ホールにて祝会が行い、多くの兄弟姉妹と共に、教会のお誕生日をお祝いすることができました。
 新約聖書の使徒言行録第2章にはイエス・キリストが天に昇られてから50日後、炎のような舌が使徒たちの前に現れて、使徒たちの上に留まります。「すると、使徒たちは聖霊に満たされて、様々な国の言葉を語れるようになったことで、世界中にイエスの出来事や神様のみ言葉を伝えるようになった。」次第が記されています。このような出来事から聖霊降臨日は「教会の誕生日」と呼ばれるようになり、教会の暦で重要な祝日となりました。

聖霊降臨日を前に

 5月18日(月)に、オルター・ギルドの皆さんが聖霊降臨日に向けて、祭壇に敷かれているリネン(白い布)や聖職・サーバーが着る祭服の洗濯。また、べストリー(礼拝準備室)などの掃除を行いました。
 5月19日(火)には、ミカエル・ガーデニング・サークルが開かれ、教会北側にある庭が整えられました。今回のガーデニングでは季節の花だけでなく、有志からいただいた天使の像4体を北側の庭に、2体を教会駐車場のベンチ近くにそれぞれ飾り付けました。教会にお越しの際は、季節ごとに衣替えをするミカエル教会の花々をご覧になりながら、庭の中を歩いてみては如何でしょうか。

日曜学校遠足

 去る4月26日(日)に日曜学校は、垂水伝道所・垂水健康公園へ遠足に出かけました。
 当日、垂水伝道所では八代智司祭が岡山聖オーガスチン教会での協働奉仕日だったため、代わりに浪花執事の司式によって、主日礼拝がささげられました。
 また礼拝後、垂水の信徒の皆様と共に、伝道所の芝生で昼食のひと時を過ごしました。広々とした芝生の上でいただくカレー・ライスを堪能しながら、大人も子どもも太陽に当たり、穏やかなひと時を過ごしました。昼食後、日曜学校のお友達は、浪花執事より聖霊降臨日のお話を聞いてから、聖霊をイメージした鳩の飾りと糸電話工作を行いました。その後、健康公園へ移動し縄跳びやシャボン玉遊びを楽しみました。参加者約50名。
 ミカエル教会日曜学校は、毎日曜日9時半から幼稚園児から小学生までを対象に小チャペルで礼拝をささげた後、分級(お誕生日会、クッキング、外遊び、お勉強会)などを行っています。ぜひ、お子様と一緒に日曜学校へお越しください。また、日曜学校のお手伝い(工作のお手伝い、礼拝オルガン奉仕など)をしてくださる大人のお友達も大歓迎いたします。

神戸バイブル・ハウス主催「ポーランド巡礼」報告
第1回 〜2つの証拠〜

 首都ワルシャワから南西へ車で3時間進んだところにチェンストホヴォアという街がある。ここにある教会がヤスナグラ修道院、通称「黒いマリアの教会」である。ポーランドでは、聖母マリアが人々の信仰生活に欠かせない。その中でも、ヤスナグラ修道院のイコンに描かれている聖母マリアの表情は黒い。1655年のスウェーデンとの戦いの際、ヤスナグラ修道院はその攻撃に耐えたことで「黒いマリアの奇跡」と称賛された。これがきっかけとなり「黒いマリアの奇跡」を聞いた足に障害のある人々がヤスナグラ修道院へ巡礼に訪れるようになった。彼らは、ここで祈りをささげた後、その足が癒された証拠として、松葉杖や義足を教会へ届けるのだ。礼拝堂の壁には、多くの松葉杖や義足が飾られている。人々の心からの祈りが神さまに通じた証拠。そして、神様によって「生かされた」という証拠を目の当たりにすると、全てを神に委ねることができることこそが、人間にとっての「平和」なのだ、と感じることが出来た。
 アウシュビッツ強制収容所。そこは1940〜1944年まで、110万人以上ものユダヤ人と20万人以上の旧ソ連などの捕虜が虐殺された場所である。収容所の入口にはドイツ語でこう書かれていた
「ARBEIT MACHT FREI(働けば自由になる)」。しかし、この言葉通りになった囚人は誰一人いなかった。展示室に入るとユダヤ人女性たちの剥ぎ取られた髪の毛、奪われた靴とメガネ、自由を求めて荷造りしたであろう鞄などがガラスケースいっぱいに広がる。ここにあるメガネや靴、そして鞄の数だけの命が人間の手によって失われたのだ。また、多くの義足があった。障害のある人々は収容後すぐにガス室に送られる。ヤスナグラ修道院では、神様から生かされた証拠として松葉杖や義足が飾られていた。しかし、アウシュビッツでは、人間によって「奪われた命」の証拠として義足や松葉杖が展示されている。「生かされた命の証拠」と「奪われた命の証拠」という、2つの証拠に私はただ、言葉を失うしかなかった。
 アウシュビッツから車で10分のところにあるビルゲナズ教会。ここで「平和の祈り」が執り行われた。この教会の礼拝堂にある大きな十字架は「現代のゴルゴタ」と呼ばれている。収容所で虐殺された人々の苦しみを十字架のイエスが今も共に苦しんで下さっているのだ。神様は、私たち人間の全ての苦しみを十字架を通し、そして、時空を超えて知ってくださっている。私たちは、この様な痛みを二度と神様に委ねることがないため。平和を実現するため。そして、全てを神さまに委ねて歩めるように、祈ることが必要なのである。 次号に続く。(文責 執事 浪花朋久)


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