花の日礼拝訪問
6月8日(月)に、オリンピア都保育園のお友達が、ミカエル教会で「花の日礼拝」を献げに来てくれました。「花の日礼拝」とは、1856年にアメリカのマサチューセッツ州の教会で始まった行事です。アメリカで最も花が咲く季節である6月に、日曜学校の子どもたちがお花を持って、様々な施設を慰問するようになりました。日本で言う「父の日」や「母の日」のように、アメリカでは「子どもの日」としてお祝いされています。キリスト教の保育園や幼稚園などでは、年間行事として「花の日礼拝」が守られています。
ミカエル教会での礼拝後、園児たちは「花の日礼拝」にちなんで、教会の敷地内にある4種類のあじさいを探す探検に出ました。また、園児たちは、礼拝中からパイプ・オルガンのことが気になっていました。偶然、オルガン練習に来ていたオルガニストにお願いして、園児たちは、オルガンの音を初めて聞くことができました。
6月中には、オリンピア都を初めミカエル保育園、ニコラス保育園のお友達が、お花をミカエル教会にプレゼントしてくださいました。ありがとうございます。ミカエル教会に連なる保育園・幼稚園に集う子ども達を覚えて、どうぞお祈りください。
聖ミカエル国際学校卒業式
6月22日(月)聖ミカエル国際学校の卒業式が、中村豊主教と同校チャプレン、ポール・トゥルハースト司祭司式のもと、当教会で行われました。式中、ジル・テイラー校長から卒業生たちに卒業証書が手渡され、卒業生たちは、新たな一歩をミカエル教会から歩み始めました。
ミカエル国際学校は1946年に八代斌助主教と宣教師ミス・リーによって設立されました。国際学校の教育を通して神様と出会った卒業生たちも多くいます。 これからのミカエル国際学校の働きのためにもお祈りください。
壮年男子会開催
6月24日(水)には、壮年男子会が開かれました。今回は「エンディングノート」について、上原司祭からお話がありました。「エンディングノート」とは、天に召される時に備えて、自身の希望などを書き留めておくノートのことです。自身の家族のことや介護のことについて記したり、キリスト教の場合だと、「通夜の祈り」と「葬送式」の時に歌ってほしい愛称聖歌など、自信が希望することを記すことが出来ます。
お話の後は食事と交わりの時がもたれ、次世代へどの様にして信仰を継承していくのか、など。男の熱い語らいの時間を楽しむことが出来ました。また、浪花執事のポーランド巡礼時のお話を聞くことができました。次回は8月に開催予定です。
神戸バイブル・ハウス主催「ポーランド巡礼」報告
第2回 〜 神の慈しみ 〜
ポーランドは、人口の90%以上がカトリックの信徒だ。そのため、国内には大きな教会が多く建てられている。特にポーランド出身で先の教皇ヨハネ・パウロ2世の業績によって建てられた教会が多くある。その中の一つがポーランドの南側クラクフという街にある「神のいつくしみ大聖堂」だ。この教会は、大聖堂の隣にある修道院で過ごした、聖人ファウスティナというシスターを記念して建てられた。
ある日、ファウスティナが修道院の礼拝堂で一人、祈りをささげていると、そこにイエス・キリストが現れて「わたしの秘書になれ」と命じられた。また、イエスから「この出来事を絵に書き記すように」とも命じられた。ファウスティナは、知り合いの絵描きに頼み、その時に出会ったイエスを絵に描いてもらった。この絵は、今でも「神のいつくしみ大聖堂」をはじめ、ポーランド中の教会の祭壇に飾られている。
その後もファウスティナは、何度も祈りの中でイエスと出会い、会話をした。彼女がイエスと出会ったことをある神父に話すと、神父は彼女が精神病だと思い、半ば強引に彼女を病院の精神科に連れて行った。しかし、診察の結果、彼女にはまったく問題がなかったことがわかり、この神父は、彼女が本当に祈りの中でイエスと出会い、会話しているのだと信じたのだ。
ファウスティナは、イエスとの会話の中で「神さまからの慈しみの力を人々に伝えていく」ように命じられた。彼女はイエスの秘書として命令に従い、イエスとの会話を日記に残し、会話記録を本にする活動を行うようになる。彼女の本を読んだポーランドの人々は、苦しみの中にある人々に、神様からの癒し、慰め、救いが必ず与えられることを確信したのである。そして、ファウスティナの本を読んだ人々によって、神様の慈しみが全世界に与えられていることを伝える運動が始まった。ヨハネ・パウロ2世は、2000年にファウスティナを聖人として列聖。2002年には、彼女の信仰と神様の慈しみを記念して「神のいつくしみ大聖堂」を建築した。この建設が世界に知られるようになり、神様の慈しみによって、病が癒されたこと確信した全世界の人々が、大聖堂へ巡礼に訪れて、癒された喜びの祈りを献げるのだ。「神のいつくしみ大聖堂」は、まさに神様の癒しの力が、全世界に広がっている証拠というべき教会なのである。
(文責:執事 浪花朋久)
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