1月1日は、教会暦では主イエス命名の日にあたります。
聖書に「8日たって割礼の日を迎えたとき、幼子はイエス と名付けられた。これは、体内に宿る前に天使から示された名である。」と記されていることから、教会の暦では12月25日から8日後の1月1日を、イエス命名の日としています。
西暦A.D.2016年という年は、和暦で平成28年ですが、戦後71年、阪神淡路淡路大震災後21年 東日本大震災から5年という、様々な位置づけができます。もちろん、世界の中ではイスラム暦で1438年とか、ユダヤ暦5776年とか、様々な価値観の節目をもって生活している人もおられます。しかし、私たちを含め、この日本でもイエス様を基準とした暦で生活しています。
2千年ほど前、ユダヤのベツレヘムで産まれた幼子は、当時の慣習にしたがって8日目に命名されましたが、その名は既に神様によって定められていました。
神は救い
「イエス」とはユダヤの言葉で、「神は救いである。」という意味で、その名のごとく生きられたわけです。
キリスト教とは、イエス様を救い主と信じる信仰のことですが、誤解を恐れずに言えば、ユダヤ教も、イスラム教も、キリスト教も、旧約聖書を聖典としており、世界の全人口の3分の2は、天地を創造された同じ神様を信じているわけです。
では何が違うのかというと、ただ、イエスという方を、キリスト教では「救い主」と信じ、イスラム教では「偉大な預言者」とし、ユダヤ教では「異端の教師」と考えているのです。「ただ・・」と言いましたが、一つ違えば大違いで、神様がもう既に「救い主」をこの世に遣わされたのか、そうではないかでは、神様観が全く違います。
クリスチャンは、救い主をこの世に誕生させて下さった「神様」を、信じているわけです。クリスマスもそのことに感謝し賛美する「聖祭」なのです。
イエス=神は救いである。まさにイエス様によって示された救いの神を信じているわけです。 そのような方が、イエス=「神は救う」と名付けられたのです。
不安の安
漢字能力検定協会が、今年の漢字として「安」という字を発表しました。しかし、残念ながらそれは「安心」の「安」ではなく、テロや異常気象、建築偽装により安心安全が揺らいだ「不安」の「安」だといいます。
私たちがイエス様の誕生を祝うのは、冬至の時期です。つまり、夜が長く、闇が支配する時間が最も長いときに、私たちは世の光を讃える礼拝を行いました。
私たち人間は、年のはじめに家内安全、商売繁盛、といったことを願います。繁栄、安定を願うのは当たり前のことです。
しかし、キリストは私たちが望むようなことを全く望まれず、不安、貧しさ、苦難の中に生まれ、そして、不安、貧しさ、苦難の中にある者の救い主となられたのです。
私達が、不安の中にあるとき、そのことを覚えることができればと思います。
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