誇るは、ただ十字架

司祭 パウロ 上原信幸

 復活日に「竹の十字架」の除幕式が行われます。
 この十字架は、戦後間もない頃、反日感情の強いオーストラリアへ、当時の日本聖公会総裁主教であった八代斌助師父が、和解のために寄贈された竹製の十字架の一つです。
 そこには「人との融和、神への改悛」と記されています。和解のシンボルである十字架ですが、日本には一つもないということで、この度、斌助師父ゆかりの大聖堂に設置されることになりました。
 和解というのは美しい響きですが、そこに至るまでには、筆舌に尽くしがたい物語がありました。
 看護師・教師といった働きをされていた宣教師をはじめ、多くのクリスチャンが日本軍により殺されました。斌助師父が追悼礼拝をオーストラリアで行うことについては、在郷軍人をはじめ強い反対があったといいます。
 多くの痛みと苦しみを乗り越えた和解のシンボルが、この竹の十字架です。

  「シュロの十字架」

 3月20日の礼拝後、シュロの十字架が出席者に配られました。 前週の礼拝後に有志の手によって編まれたものです。
 イエス様はご受難の直前に、入城され、人々は歓呼の声で迎えました。シュロの枝を振りかざし、また道に敷いて、緑の絨毯としました。
 シュロの枝で迎えるのは、当時凱旋する「王」を迎える習慣です。
 私達は、王様を迎えるためのシュロの葉で十字架を作り、常に柔和な王としてのイエス様と、そのご受難を憶え、そして、生活の中の身近な存在として、身近に置くのです。

   「シャルトルの緑の十字架」

 フランスのシャルトルという町にある大聖堂は、ステンドグラスの美しさで有名です。
 その中に、印象的な1枚のステンドグラスがありました。
 イエス様の磔刑図ですが、その十字架が鮮やかな緑色でした。 「本来は枯れた木である十字架(茶色)であるが、イエス様の犠牲により、命を取り戻し、生き生きとした生命の色である緑で表現されている」と、説明にありました。
 どのようなステンドグラス作家であったかは判りませんが、一枚のステンドグラスに表した信仰は、感動的です。
 4月になり、野の草木は緑を取り戻し、成長を始めます。秋に葉が落ちて丸裸になり、枯れたかに思われた枝も、よみがえって新芽を吹きはじめました。
 神戸教区とミカエル教会が宣教140年を迎えようとする今日、 和解と希望を伝える存在として主の愛される地で、歩んでまいりたいと思います。

  「神は、御心のままに、満ちあふれるものを余すところなく御子の内に宿らせ、 その十字架の血によって平和を打ち立て、地にあるものであれ、天にあるものであれ、万物をただ御子によって、御自分と和解させられました。」 コロサイの信徒への手紙 1章 20節


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