聖霊降臨日

司祭 パウロ 瀬山公一

  平和の挨拶

 挨拶の言葉には様々なものがあります。当たり障りのない天候に関わるものから、相手の様子を心配する言葉などあります。国や地域によって異なる、特徴的なものもあります。本来は意味のある言葉でも、やがて形式化して使われるようになってしまいます。いつも礼拝で、わたしたちは「主の平和が皆さんとともに」「またあなたとともに」「平和の挨拶を交わしましょう」「主の平和」と挨拶を交わし、お互いのために祈ります。
 ルツ記3章で、ダビデ王の曽祖父で、ルツと結婚したベツレヘムのボアズは、自分の畑で働く農夫たちに「主があなたたちと共におられるように」と言って挨拶をし、彼らをねぎらいました。主が共にいてくださる、というのは、神に守られ導かれるということでもあります。単なる形式的な挨拶の言葉とするのではなく、心から祈るための言葉なのです。

  コミュニケーション

 今の時代、人と連絡を取ったり会話をしたりするのに便利な手段はたくさんあります。しかし、それでも間違った情報が伝わったり、詳しくわからなかったりということも多くあります。実際に会って会話をしても、思い込みや勘違いによって、誤解してしまうのです。すべてを話さなくても、きっと理解してもらえるだろうということもあります。言葉にすることができないような思いを、何とか相手に伝えたいというときは、かなり努力をしなければなりません。またその相手とどのような関係であるかによっても大きく変わるのです。しかしわたしたちと神との関係においては、少なくとも神にとっては、そのようなことはありません。わたしたちのことは、誰よりもご存知です。そして、神の言であるキリストによってわたしたちに語られたのです。わたしたちは自分勝手に一部分だけを抜き出して解釈するのではなく、神のみ心を感じることが必要なのです。そのために与えられたのが聖霊なのです。
 「父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる。」(ヨハネ福音書14:26)

  弁護者

 祈りは神との交わりの時です。願い事をするだけでなく、神のみ心に耳を傾けることで、神とのコミュニケーションを取ることができるのです。イエスは弟子たちに、弁護者すなわち聖霊を与えると言われました。それは共にいてくださる神であり、守り導いてくださる存在です。そして神とわたしたちの交わりを取り持ってくださいます。それはかつての預言者のように特殊な能力を持っている人に限られるというのではありません。また何かの呪文を唱えれば叶うということでもありません。それは信仰による心からの祈りよるのです。祈祷書は読むものではなく、唱え祈るものです。わたしと人、そして、わたし達と神の交わりの中で、神の恵みを感じていただきたいと思います。

主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、わたしたちと共にありますように。


© 2024 the Cathedral Church of St.Michael diocese of kobe nippon sei ko kai