しもべは聞いております |
司祭
パウロ 瀬山公一
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「聞くのに早く、話すのに遅く、また怒るのに遅いようにしなさい」(ヤコブ1:19) 祈り 主イエスは、弟子たちに祈ることを教えられました。わたしたちがいつも祈っている「主の祈り」です。その時「偽善者たちは、人に見てもらおうと、会堂や大通りの角に立って祈りたがる」と言われました。人に見せるのではなく、神に向かって自分の心からの思いを込めることが重要なのです。そして、祈りにはお願いばかりではなく、感謝、賛美、懺悔等様々な要素が含まれています。しかし、最も重要なことは、神に聞くことです。預言者ではないのだから、神の声が聞こえるわけがない、と思われるかもしれませんが、聞こうとする気持ちが重要です。「どうぞお話しください。しもべは聞いております。」(サムエル記上3:10) 少年サムエルがエリに教わって、神に答えた言葉です。自分の思いだけではなく、神のみ心に耳を傾けることに意味があるのです。 礼拝 個人的に祈るのと違って、共同の礼拝、特に聖公会の礼拝では、祈祷書を用います。基本的にはどこの教会も同じ言葉で祈ります。わたしたちの信仰であり、祈りです。一人一人は異なっていても、キリストを頭とする一つの体なのです。だから礼拝に出席する人は皆が一つになって祈りをささげます。またサーバーも奏楽者も、オルター、聖歌隊、アッシャー、日課朗読者、献金奉献者も、皆が一つであり、キリストによって結ばれています。誰か一人が特別なのではありません。言葉を合わせて、心を一つにし、皆の思いに耳を傾け、共に祈りましょう。 聖歌 聖歌も単なる歌ではなく、神に献げる祈りです。苦手な人も、上手な人も、知っている曲も、初めて聞く曲も、皆と心を合わせて歌いましょう。オルガンの音と会衆の声が調和する時に、美しいハーモニーが生まれます。共に歌うということは、周りの音に耳を傾ける必要があります。耳が弱くてよく聞こえないという方もおられると思いますが、それでも共に歌っているという気持ちを大切にしたいと思います。皆が自分勝手に進もうとすると、ぶつかり合ったり、引っ張り合ったりしてしまします。しかし、いざという時に、神に向かって同じ方向へ力を発揮すれば、ものすごく大きな力となります。一人一人の力は小さく弱くても、大きな力で教会を支えていくことができるのです。 |