司祭 パウロ 瀬山公一

光と音

  雨上がり晴れた日の空に時々虹が出ることがあります。先日も神戸の港に綺麗な虹が出ていました。外側から赤・緑・青と光の三原色が輝き、その間に様々な色が映し出されます。万有引力の理論を説いたアイザック・ニュートンは、聖書的に虹を七色と表現したと言われています。天地創造の7日間のように、7という数字は聖書によく登場します。さらに音階もド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シで七音です。しかし、自然界には無数の色や音が存在しています。美しいと感じるかどうかは別にして、世界には様々な組み合わせが存在しています。緑と黄緑の間にも無数の色があり、ミとファの間に#♭以外にも音は存在しています。また同じ色でも、水彩画や油絵、色鉛筆等で違った物になりますし、楽器が変われば別の音になります。わたしたちも一人一人が違っています。決して同じ人間は存在していません。どんなにそっくりであっても別人であり、人格は異なります。

音楽と礼拝

  先日のクワイヤーフェスティバルが開催され、音楽による夕の礼拝が行われました。スコット・ショウ氏による指導と指揮によって、大聖堂に夕の礼拝の素晴らしいハーモニーが響きました。それぞれ違った教会や学校から、その日に初めて集まった人々が、数時間の練習の後、音楽を通して一つになった礼拝でした。それは、たった一日だけの幻ではありません。いつもの礼拝においても、一人一人が心を一つにして、司式者が導く礼拝の中で、心に響く色と音が作り出す虹を見ることができるでしょう。

教会の働き

  礼拝だけではなく、教会の中のすべての活動、働きが多くの人々によって成り立っています。ばらばらに不響和音を奏でるのではなく、気持ちの良い響きを奏でることで、教会に集う人々に、神の恵みを感じてもらうことができるでしょう。上手にできなくても、心のこもった奉仕、愛のある活動は、福音であり、宣教の業になります。逆に心無い言葉や、自分勝手な振る舞いは、人を苦しめ、不幸にしてしまいます。
 憎しみのあるところに愛を、悲しみのあるところに喜びを、絶望あるところに希望の道を、暗闇に光を与えることができるように、神に用いられる者とされて、神の愛を伝えることが、わたしたちにとって大切な使命なのです。
 虹と言えば、ノアが方舟から出てきたときに神は契約のしるしとして、雲の中に虹を置かれました。虹は神の救いの象徴でもあり、栄光のしるしでもあります。みなさんの上に神の救いと恵みが豊かにありますようにお祈りいたします。神を仰ぎ見る時、虹はもうそこにあるのです。


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